「シュルレアリスムの写真的条件」解説:ロザリンド・E・クラウス『アヴァンギャルドのオリジナリティ』入門
「シュルレアリスムの写真的条件」の主張は単純。
シュルレアリスムの本質は「写真的」であることだ
というだけです。
シュルレアリスムっていろんな形態の作品があるのですが、そのために不十分な定義しかなされてきませんでした。それに対し、クラウスは
形態(あるいは様式)じゃなくて、もっと記号論的(あるいは哲学的)に本質にアクセスせよ
と主張するわけです。いわく、「シュルレアリスム的異種混交性の諸問題は、伝統的美術史の様式分類をはたらかせている形式的諸特性ではなく、写真の記号論的諸機能をめぐって解かれるだろう」(154頁)。
では、「写真的」というのはどういうことか。
それは現実との直接的な結びつきを持っているということです。すごく当たり前の話ですが、確認。
クラウスはそこでパースの記号論を参照していますが、言われてることは単純な話で、
写真の技術は(ドローイングや絵画よりも)現実を直接的に写してくれるよね
ってだけです。いちおう引用しておきます。
シュルレアリスムの写真は、すべての写真が付与されている現実との特別な結びつきを利用する。写真は、現実的なものから取られた刻印もしくは転写だからである。それは、指紋や足跡や冷たいグラスがテーブル上に残す水の輪と類似の仕方で、それが指し示す世界のなかのその事物に因果的に結びついた、光化学的に処理された痕跡である。写真はそれゆえ、絵画や彫刻やドローイングから属的に区別される。イメージの系統のなかで、写真は指紋、デス・マスク、トリノの聖骸布、あるいは海辺の鷗の足跡により近い。というのも、技術的かつ記号論的に言って、ドローイングと絵画は類像(イコン)であるのに対し、写真は指標(インデックス)だからだ。
ともかく写真は現実と結びついている(つまり、ある種の「インデックス」である)。そして、シュルレアリスムの作品は実際に写真を使っているのもそうでないのもあるけど、現実との結びつきという点では共通している。
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先に進みます。厄介なのは、現実との結びつきなんて言いつつも、クラウスには「写真が現実を変える」っていう思想があることです。どういうことか。
まずカメラがそれまで見えなかったものを見させるものだということを確認しましょう。引用します。
異なった眼とは、もとより、カメラ・アイ(写真眼)のことである。それは、より速く、より鮮明に、より奇抜なアングルから、より接近して、顕微鏡のように見ることもできれば、あるいは色調を変換させたり、X線で透過して見ることもできれば、連想や記憶のエクリチュールを可能にするイメージの増殖にも開かれている。カメラで-見ることは、それゆえ、通常の視覚の途方もない拡張であり、裸眼のもろもろの矢陥を代補するものである。カメラは眼の裸性(ネイキッドネス)を覆い隠し武装させる。それは人体の能力を拡張する一種の人工補綴物として振舞うのである。
このことは納得できるはずです(テクロノジーはすごい)。
しかしクラウスは、そこからもう一歩進みます。
しかしカメラは、世界が視覚に対して現前しうるあり方を増やすことによって、その現前性を媒介し、見る者と世界の間に介在し、その条件に応じて現実をかたちづくる。それゆえ、人間の視覚を代補(サプルメント)し拡張するものはまた見る者自身に取って代わる(サプラント)。すなわちカメラは簒奪しにやって来る補助者なのである。
ここで言われているのは、カメラが現実(の見方)を変えてしまうということです。カメラは視覚を補ってくれるものなのだけど、単なる補助器具なんてものではなくて、視覚そのものを変えてしまう。
これはジャック・デリダの言葉でいう「代補」ですね。カメラは眼を補うことでそれに取って代わる、眼の「代補」なのです。
なかなかに哲学的な発想なのですが、そうなるとカメラで撮った「現実」はたんなる作り物・まがいものではなくて、(新しい)現実そのものになるということになります(人がカメラを通して見る世界しか知らないと仮定すれば、そうです)。だから、次のように言われます。
現実は、あの支配する代補、すなわちエクリチュールによって、拡張されると同時に置き換えられ、もしくは取って代わられたのである。写真というパラドキシカルなエクリチュールによって。
これが「シュルレアリスムの写真的条件」の最終文です。
つまり、結論はこうです。シュルレアリスムの作品は、写真的に現実と結びついたものであり、そのために現実を変えている。
以上、スリリングで大好きな論文の解説でした(わたしの写真に対する愛憎を説明してくれるテクストでもあります)。
画像出典:ロザリンド・E・クラウス『アヴァンギャルドのオリジナリティ:モダニズムの神話』谷川渥・小西信之訳、月曜社、2021年、164-165頁。