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自分の原点に立ち返る

今日は、自分がなぜ一関の地域おこしをしているのかを考えていった時に、たどり着いた、ほんの些細なことだけれども、自分の原点について書きたいと思う。


自分の原点に振り返るきっかけ

いきなり話がそれるようだが、最近、嬉しいことがあった。

一関で出会ったテニスの先輩が、関東から地元にUターンして、硬式テニス指導とスポーツトレーナーで開業したのである。

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村上弘平さんには、4年前に、一関で硬式テニスをしていた時に出会い、地元で硬式テニスを広めたいと言っていて、自分も同じ気持ちだったので、それから一緒にテニス教室イベントをやったり、ここ最近は地元に帰ってきてやっていくための相談などをもらっていた。

地元に戻ってきて本当に嬉しいし、こうして、バリバリと硬式テニスを子供達に教えながら、フリーランスで始めている姿を見ると刺激を受ける。


これまで、一関では硬式テニスを教えてもらえる環境がなかった。

その素地がない中で開拓していっている村上さんの姿がとても頼もしい。

なにより硬式テニスなのが自分にとって嬉しい。


この出来事が自分の原点に振り返るきっかけにもなった。


小さい頃の話

少し自分の昔話をしたいと思う。

私は、岩手県の大東町という山と川が素敵な田舎町で生まれ育った。


幼稚園からポケモンをはじめてしまい、小学校の頃は、友達とゲームばかりやっていた。(ゲームを悪いとは思っていません。)

親はそんな私を見かねてか、友達がやっているミニバスに連れて行った。絵に描いたような怖い監督が待っていて、案の定、練習で怒られまくり、面白みを感じずにすぐに行かなくなってしまった。

そんな中、某テニス漫画にハマった。当時中二ではなかったが、中二病のごとくハマり、漫画だけでは飽きたらず、友達を読んで公園や家の庭でテニス?をしていた。(テニスコートではなく原っぱです)

それまでゲームばかりで、スポーツにハマることはなかったが、小学校高学年で、硬式テニスにのめり込んだ。学校にラケットもっていって、校庭で遊んでいた。

中学校には当然、某漫画のように硬式テニス部があって、校庭より立派なちゃんとした学校のテニスコートでめちゃくちゃ練習できるんだろうと思っていた。

しかし、入学してみたら、硬式テニスもなければ、ソフトテニス部もなかった。かろうじて女子のソフトテニス部はあったが、少子化で男子ソフトテニス部は数年前に潰れたのだという。

普通の人だったら諦めるんだろうけど、諦めが悪いので、担任にテニス部を作れないか相談した。

「8人くらい集められたら部を作れるかもしれない」

そんな話をされたと思う。


小学校から一緒に遊んでいた友達を8人集めて、「テニス部できますか?」担任に聞いた。

「少子化で部が少なくなっている中、新しい部は作れない」と言われた。


(これは今思うと当たり前の返事ではあるのだが、)

当時の私には納得できなかった。


田舎だからできないのか。

過疎化・少子化だからできないのか。

転校も考えたが、親に反対されたのもあり、結局そこまでは至らなかった。

近場では教えてもらえる環境がなかったので、テニスは遊びでやるくらいで、結局はバドミントン部に入り、良い仲間とも出会い、競技は違えど、楽しく過ごした。

こんな風に子供がやりたいと思ったことが叶わないのは、世の中に沢山あると思うし、みんなそれに折り合いをつけながら過ごしている。

ただ、自分の中で、このできなかった経験は結構苦い。

田舎だからか、周りの環境なのか、

当時の自分には変えることができなかった。


周りの人のやりたいを応援したい


今、地元に戻ってきて思うのは、「やりたい」って誰かがいったことに対して、応援しようって人がまだまだ少ないのが確かだと思う。

宮城県庁を辞めるときに、協力隊になって、その後は何とか稼いでいく。

これを親や知人に相談したときも、反対しかなかった。そりゃ当たり前なんだけど。

でも、まあ「できるか分からんけど、ここから考えてみようよ」とか「これからやってみたら?」とかいうような人は田舎には欲しい気がしている。

そんなお節介な人になりたくて、多分、今この仕事をしているんだと思う。

村上さんが独立したのは本当に嬉しい。

私は硬式テニスに限らず、この地元で誰かのやりたいにお節介を続けていきたい。

小さなことだけれど、幼い頃の私の原点だから、それを大切にして仕事をしたいと思う。

そして、この一関で自分のやりたいことで稼いでる姿を次の人たちに見せられたら、村上さんのように面白いことが始まり、楽しい街になるのではないかと思っている。

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