桜庭 葉

清水禮子『数の呪縛』が好き。 ドビュッシーはどんな音楽家なの、教えて。代表作は?

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清水禮子『数の呪縛』が好き。 ドビュッシーはどんな音楽家なの、教えて。代表作は?

最近の記事

おもしろ家族

夜中にお腹が減って、インスタントのカップうどんを食べた。翌朝、空のカップを母に見咎められる。私にはダイエットが必要。それなのに、余分に食べているのだから。私はうそをついた。 「夜中、台所の戸を叩く音が聞こえた。戸を開けると鳥がいた。『寒いので何か温かいものがたべたい』と鳥は言う。私は『カップうどんでいいか』と確認する。鳥は『それでいい』と言う。『じゃあ、ちょっと待って』と私は言い、お湯を沸かし、お湯をカップに注ぎ、三分後うどんを鳥にあげた。鳥は器用にくちばしからうどんを食べ

    • 40年前にどんな風景を見ていたの?

      駅の階段を降りながら この階段ならば、朝降りて 向かいの階段を夕方、上っていた そうなんだろうなと思った この駅はあなたが住んでたところの最寄駅 どんなことを想っていたの どんなことにワクワクしていたの どんなことを夢見ていたの そしてその夢は、実現したのかな それとも、まだ実現の途中なのかな

      • 妄想・血液検査

        病院へ行くと、必ず採血され血液の検査を受ける。病院内で検査し、1時間ほどで結果が出て、医師に呼ばれて説明を受ける。項目はたいてい、わからない言葉か略語である。そして、下限値〜上限値に外れる場合、低ければ「L」、高ければ「H」と表示され、基準値外の項目について疑われる症状を伝えられ、場合によっては薬を処方される。 白血球とか赤血球とかは言葉は知っているが、その意味はわかっていないし、単位もよくわからない。AST、ALT、LD、ALP…何の略語でどんな意味か知らない。今ならイン

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        • 人生100年時代の嘘

          「人生100年時代」というと100歳までが寿命のように思えてくる。100歳まで生きられる、そんな希望を持ってしまう言葉だ。しかし、実際にはそうではないことをあることで知った。老後のお金が足りないということもあるかも知れないが、その時は生活を切り詰め、公的保護を受けるという方法があるはずだ。問題は、病気になった時だ。病気になってお金がかかり、その費用が払えない、という問題ではない。人生100年と政府が推進しているなら、充分な医療を安価もしくは無料で提供してくれるのが、本来の姿だ

          鷺沢萠の死から

          もう20年経っていた。鷺沢萠が亡くなってから。小説は読まなかったけれど、エッセイは出版されているものは全て読んだ。どれも面白かった。もう、20年も経つのか。自分の中では10年少ししか経っていない感覚だった。 人に何かを薦めるアンケートがあり、お店とか旅行先とかは知らず、本くらいしかなく、その中で面白いものと考えると、小説では好みの問題になりがちだから、エッセイではと考えると、鷺沢萠しかなかった。 鷺沢萠が亡くなってしまったから、読むエッセイがなくなっていた。読書習慣がなく

          鷺沢萠の死から

          職場でいじめられていた(組織的か)

          会社に入った数年間かは幾度も幾度も「会社を辞めよう」と考えていた。IT関係の仕事で仕事の内容は面白かったが、人間関係が嫌だった。私視点で言えばよく「絡まれた」。私以外は、全員先輩である。だからといって絡んでくるのはどうか、と今になって冷静に思う。 一度、何か気に入らないことがあって、一人の先輩が私を待っているのが見え、私が行くのを拒んでいると、私の上着にライターを近づけ「燃やすぞ」と脅されたことがあった。完全に狂っていると思うのだが、制止する者は誰一人としていなかった。何と

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          職場でいじめられていた(組織的か)

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          適量か、適当か、それが問題である

          適量というのが、つかめない。 甘さ辛さならば、好みにすればいい。もしくは、健康のことを考えて、塩分を抑える、甘さ控えめにする、など調整できる。 お酒の適量もわかるが、これはコントロールできない人もいる。私も以前そうだった。あるだけ飲んでしまう。家で飲んでいて足りなくなれば、外に買いに出る。最近の厚生労働省の発表によると、適量はひどく少なく感じる。私は飲み過ぎになっていた。今はお酒が飲めないので、お酒の適量は関係ない。

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          適量か、適当か、それが問題である

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          母はうそつき(それはちょっと言い過ぎか)

          「子供の考えていることは分かる」と私が幼い頃、母は私に言った。

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          母はうそつき(それはちょっと言い過ぎか)

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          うそはつけない

          入院している母の病院での面会の帰り、近所の人と出会う。母と仲良くしてくれている方である。この間、母に代わって約束のキャンセルを伝えた。 あいさつだけをして立ち去ろうとしたが、「家にいらっしゃるの」と訊ねられる。入院のことは伝えないでほしいと母から頼まれている。返事に窮していると、相手から「入院しているの」と重ねて問われた。うそをつく訳にもいかないので「ええ」と答える。まさか、真面目に心配している人に「ハワイに行っています」なんて冗談は言えない。 どうするのが正解だったのだろ

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          うそはつけない

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          もう一つの自由

          人に与えられた自由は、一つしかないと思ってきた。自ら死を選ぶことである。しかし、それだけではなかったことに気が付いた。

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          もう一つの自由

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          言ってはいけないこと コナン『安室さん、声変わりでもしたの?』

          言ってはいけないこと コナン『安室さん、声変わりでもしたの?』

          デイルームの窓から遠くに見える、白い小さな建物

          入院している母と、デイルームの窓際に二人並んで座っていた。少し話をした後、母が言った。「向こうの白い建物はなんだろう」。病院近くの白い建物のことかと思い答えると、そうではなく、遠くの山の中にある小さな白い建物を指していた。スマホを出しマップで確認すると、距離がわからないが、その方向にある建物は中学校のようであったので、その事を伝えた。 遠くの建物のことを訊ねるなんて、面白いなと思った。なぜなら、昔、こんなことがあった。

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          デイルームの窓から遠くに見える、白い小さな建物

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          鼻濁音という正義

          会社に入って間もない頃、言葉があまりきれいではないと言われた。特に「が」が耳障りだと言われた。その人は「アナウンサーの知り合いがいるから」とか言い、自分は発音には詳しいみたいなことも言っていた。アナウンサーに知り合いがいることと、(日本語の)発音に詳しいこととは関係ないので、少し何を言いたいのかわからなくなったが、言葉への言及については忘れ去ることができない。なぜなら「が」には濁音と鼻濁音の二種類があり、アナウンサーはその二種類を使い分けられるとされる。一部の地域の人を除いて

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          病気とわかってよかったこと

          病気になってよかったことなんて一つもない。知らない方がよかった。知らなければそのまま普通に過ごせていたし、病院で時間もお金も使うことはなかったし、薬の副作用で何もできない、日々弱くなっていく、そんなこともなかったはずだ。 しかし、一つだけよかったことがある。突然、死を突きつけられたらどうだろう。例えば、事故により急死したら。感染症で数日で死を迎えたら。何も知らずに意識不明のまま、死んだら。いずれの場合も何もできない。だが、私は自分が病気であることを知らされた。副作用のせいで

          病気とわかってよかったこと

          私はやはり冷たい人間なのだろうか

          嫌いになった人間とは一切関わりたくないと思っている。あいさつも交わしたくない。さらに言えば、ひどい目に遭えばいい。叱責を受ければいい。死ねばいい、そう思うこともある。困っていても、何もしない。 嫌いになった人間だけでなく、その他の人が困っていても、積極的に手を差し伸べようとはしない。しばらく、本人に任せる。どうしても一人ではダメそうで、何人かが気にかけ始めたら、自分も参加する、そんなスタンスである。 しかし、もし、嫌いな人を好きになれば、いや、嫌いな人を好きになる努力をす

          私はやはり冷たい人間なのだろうか

          人の物理的な温もりの意味

          親切にしてもらうと「人の温かさに触れた」と言う。それは具体的である。荷物を持ってもらった、順番を譲ってもらった、道を教えてもらった、などなど。心に残るものもある。しかし、その記憶ははかなく、すぐに薄れ忘れ去られる。 本当に、本当に必要なのは、物理的な人の温もりである。親切とかは、結局、物や情報の提供に過ぎない。知っていることを分け与える、お裾分けである。しかし、人の温もりを与えることは、体をあげることである。おおげさに言えば、命か命の次に大切なものを与えることである。そんな

          人の物理的な温もりの意味