お台場に出現したバケモノ
以下、自分のFacebookより感想を抜粋
アレグリアは…舞台芸術における美の集大成だった。
演者、衣装、照明、音響、舞台機構、大道具、小道具、上演中どの一瞬を切り取っても過不足のない美。
勿論演者なくして舞台は成り立たないが、土台無くして演者が輝くことは無い。4ヶ月に渡る公演の為だけに青海に作られた劇場、通称ビッグトップは、演者の美を200%に魅せる舞台だった。
こんな舞台をつくれたらどれだけ気持ちいいだろうな、とずっと思っていた。勿論演者の美も凄まじいし、目の前で繰り広げられる無重力かと思えるほどの身体能力に呆気に取られたが、それを飾る精緻な無機物も私にとっては演者であり、ビッグトップそのものが芸術だった。
私は舞台ならなんでも好きだし、なんでも楽しめる。が、アレグリアは凄まじかった。今まで観てきたどの舞台より洗練されていると感じた。
人間の感じる美はそれこそ十人十色で、これはあくまで私の感性における美であり、これは美しい美しくない、何が良い悪いとかではない。
今公演の為「だけ」に造られた舞台で繰り広げられるアレグリアは文句無しに美しかった。
シルク・ドゥ・ソレイユは、従来のサーカスとは一線を画している。サーカスというよりエンターテイメントと言った方が恐らく正しいのだろう。
だが、名称を聞いたことはあれど今まで観たことはなく、サーカスでしょ、と高を括り観ようと思ったこともなかった。そんな自分を殴りたい。
ここに関わっている人は、キャストも、クリエイティブチームも、自分のやりたいことを突き詰めた結果、能動的に動いて、動いて、動き続けて…この舞台を創っている。
それぞれ紆余曲折があったり、周りから「そんなこともうやめたら」と言われたり、時には挫折を味わったり、そんな人生があった人間が集まってここにこの舞台が出来上がっている。
アレグリアに留まらず、この世の芸術は全て夥しい量の枷を掻い潜って、数々の能動的自分勝手が高じて産まれてきている。
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アレグリアに対する感想は上記。
抽象的であるが、「あれがよかった、これが良かった」という感想はいくらでも出てくるため割愛。
幼少より舞台鑑賞は母の影響もあって人並み以上にしてきたし、ある程度自分の好きな脚本の傾向は分かっているが、それにしても毛嫌いせずになんでも面白いと思う感性を持っている。脚本は好きじゃなかったけど衣装が良かった、とか、好みではなかった部分をカバーできる良さを見つけるのが得意だ。
自分のいい所、その2、良さの抽出が得意。
何事においても、良さを見つけるのは重要だと大人になるにつれてひしひしと感じるようになった。
対人関係で言えば今まで「この人100%嫌い」はなかった。
嫌いになることは簡単だが、良さをもシャットダウンしてしまうのと同義で、一度シャットダウンしてしまったらもう良さを見つけるのは難しい。
ちょっと好きな脚本じゃなかったな、感情移入できなかったな、衣装好みじゃなかったな、そう思ったこともあったが「時間の無駄だったな」と思ったことはただの1度もない。そもそも、舞台に限らずすべてのコンテンツには制作者がいる。
コンテンツとして世に生み出す覚悟を持った人に対して「何一つ面白くなかったですよ」と何も生み出さない人間が言うのは烏滸がましいと言えるだろう。
シルク・ドゥ・ソレイユという超人的エンターテイメント団体が生み出した「アレグリア」は、とんでもない代物だった。
キャストとクリエイティブチームを含めたすべての制作者がバケモノだと思う。
サーカス(便宜上そう呼ぶことにする)を知らなかった私にとって、何も無いただの空間にあのビッグトップを出現させてしまうシルク・ドゥ・ソレイユが、今に至るまでどれ程の苦難を乗り越えてきたのかは、二十余年しか生きていない私の想像を絶する。
シルク・ドゥ・ソレイユの創設者達の人生がどんな物だったのか気になって仕方ない。
十人十色の美的感覚があるなか、全ての人に肯定され順風満帆でこの団体を立ち上げたわけではないだろう。
「無駄だ」「何一つ面白くない」と言われたこともあったのではなかろうか。
数々迫る枷に止められる事無く、彼らの信じる美を貫き、能動的に動き続けた結果、完璧な美を創りあげる団体に彼らは成った。
私はアレグリアを観て完璧に虜になった。常設の舞台では無い場所であれだけのパフォーマンスを叩き出すとんでもないバケモノ集団のことが大好きになってしまった。
毎日通い、余すところなく記憶に収めたいが、生憎時間も金銭も余裕が無い。
アレグリアは私にとって100%の良さしかなかった。ひとつだけ捻り出して言うとしたら「あの公演を観るには目が足りない」ことだけ。これはしょうがない、目玉を増やすしかない。物理的に無理だ、諦めよう。
様々なことにおいて飽食の時代の今、ここまで劇的に心を揺さぶられるコンテンツはなかなかない。
100%良かった、好きだと言えるのは本当に稀だし、そんな物に出会えて良かった。機会をくださった母の友人に、そして昨年の秋から観ようと言ってくれた母に感謝している。
嫌いと判断するのは簡単だし、避けるのも、食わず嫌いをするのも簡単。今、自分について悩みに悩んでいる2023年の4月にアレグリアに出会えたことで、自分の感性と物事に対する価値観の再認識が出来て、本当に良かった。
私は今のまま、好きなものを好きと言える人間でありたい。良さを見つけられる人間でありたい。
そして、出来ることなら自分の良さも同じくらい見つけられるようになりたい。
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