世界史学びなおしたら、疲れないオタ活の最適解について考えるようになった
最近、世界史の学び直しを始めました。
もともと映画を見るのが好きでしたが、世界史の知識を付けた状態で鑑賞する映画って、今の自分と違った感想や気づきが得られそうで、今から楽しみでモチベーションも上がります。
そんな世界史を勉強している中で、
十字軍の辺りを学習して宗教とオタ活似てるな~と思ったことをつらつら書いていきます。
ここから先世界史全然関係ないというか、ディズニー界隈のオタクをしている私のひとりごとのような感じです。
でも多分ディズニーに限らず、様々な界隈に通ずるものだと思います。
さて。十字軍、十字軍運動とは、聖地イェルサレムは自分らのもんだと思っているヨーロッパのキリスト教と、アジアのイスラム教による7回ほどの戦いなんですが、
ちょっとだけ前置きで宗教の成り立ちの話をすると、元はユダヤ教(旧約聖書)の解釈の派生がキリスト教(新約聖書)、そしてそのキリスト教の解釈の派生がイスラム教(コーラン)なんだそうです。
それぞれ全く関係ないところから生まれたわけではなく、ベースの教えはどれも同じですが、預言者が誰なのかという点など、それぞれ違いがあるという感じで分かれています。
「ベースの教えが同じ」というのがキモで、ユダヤ・キリスト・イスラムの考え方は違えど大事にしている場所や、信じる神様が一緒だったりします。
こういうところで聖地の取り合いや、解釈違いとの闘いが始まっていくわけです。
え・・・・これオタクも同じことしているのでは・・・・・
そういえば最近までハロウィーンシーズンで、SNSでは日々オタク同士の「仮装」に対する争いが繰り広げられていました。。
公式からは「仮装ルール」という決まりが記された文章が公開され、
人はそれに沿って仮装を楽しむわけですが、、
・仮装ルールを読んで、その範囲の中でディズニーアニメーションスタジオやピクサー、パーク産のメジャーなキャラクターの仮装を楽しむ者(公式に確認を取らない安全圏)
・仮装ルールを読んだうえで、公式から直々に許可を取り、これはルールを反していないかジャッジしてもらったうえで、「許可は取れています」という根拠を基に仮装をする者(人によってはルールすれすれの恰好をしていることもあるので、傍から見て攻めたな~という感じ)
・純ディズニーアニメーションスタジオ産ではないけど、公式の仮装ルールに許可が下りているため、ディズニー系ゲームやディズニーチャンネルといった派生媒体で生まれたキャラクターを仮装する者(ルールには反していないが、ディズニー映画やパークが好きな人から「世界観」や「マナー」などの側面から、なぜか目の敵にされがち)
などなど、一つの「仮装ルール」を基に様々な解釈や、仮装に対する考え方を持った人達が仮装をし、
どれが正しい、これは良くないなどと争う感じです。
私はもともとディズニー映画が好きで、数十年単位でパークに通っているのですが、
かつては一つ目に挙げた例のような、「公式に聞かなくても分かるような安全圏の中で仮装をするべき。自分がしようとしている恰好が大丈夫なのか許可を取ろうとした時点で、それは心のどっかで自信が無いから聞いているのであってNGなのでは????」という過激派でした(逆に言えば派生だろうと公式が良いと言っていればそれは絶対なので、文句を言うべきではないとも思っています)
他の畑(宗教の争い)を見て気づいたのですが、どの解釈も間違っていなくて、言い出したらきりがないのです。
アイドルの現場だったり、ディズニーに限らずいろんな現場で謎ルールとかありますよね。
人が10人いたら、理解の仕方も感じ方も違ってしまうのです。
十字軍とは反れますが、どの時代も異端に対して風当りが強い国よりも、ある程度異教徒や異文化を受容した方が、国がうまく回っています。
そう思えば、あくまで自分と神との対話、つまり、自分と推しとの関係性を重視して、周りがどうしていようと干渉しない、良くも悪くも周りはどうでもいいくらいが一番平和に長くオタ活できます。
周りに振り回されず、争いを避けてオタクして、自分の納得した向き合い方で楽しんだりすがったりできれば、オタ活も自分の人生を華やかに彩ったり、良い方向に導いてくれます。
こんなに身近な場所で、解釈の争いがあるくらいですから、世界に戦争がなくならないわけだなと思いつつ、
どうにか自分以外の誰かを粛清しよう・衝突するぞと思う人が減っていけば良いなと思います。
そういう意味でも、同じ過ちを繰り返さないために、世界史ちゃんと学んでいきます。
今後も何か気づきがあったら、こんな感じで日常に落とし込んだり、文学などに落とし込めたらいいなと思います。
では、今日はこの辺で~