組織論に興味を持ったきっかけ
ヒロック初等部のカリキュラムディレクターとしての活動と並行して、組織論話すおじさんになってきました。ポリシーメイキングもその一つです。
今対話ドリブン-自走する学校には対話から始める文化がある-という書籍を執筆しています。
時短術の本は一般的ですが、組織だって働き方を変えていく考えをもつことは教員の世界ではかなり稀です。
できる人だけが幸せになる世界でなく、みんなが幸せになる環境をつくることにチャレンジします。
この文章が同じ志を持つ人たちに届いてほしいです。
そんなぼくも最初から組織論に興味があったわけではないです。
むしろバチバチの実践家を師匠とし、目指してましたし、チームプレイがどうしても苦手な性分でもありました。
そんなぼくの組織論への興味は、非常に個人的な体験でした。
教員になって7年ほど経ったでしょうか。もともと塾講師で、「教える」手法がメインでしたが、だんだんと「子どもたちが自分で学び合う」クラスづくりに確信を得ていた時期でした。
授業は僕からの話は10分だけ、それ以外はほぼ子どもたちが自分で課題を見つけて、話し合い、いろんなことを発見していました。
できるだけ「教える」割合を減らし、「自分たちで掴み取る」チャンスを増やす。
その一連の流れに心が躍る毎日でしたし、子どもができることが増えて、それを保護者と共に喜ぶことができて、信頼を得てさらにチャレンジができる。
そんなクラスの手応えを感じていました。
このままいけば、息苦しい勉強の世界を、瑞々しい発見の世界に変えることができる、そんな確信でした。
そんなある日、新任の先生のクラスが荒れてしまい、職員室で会議をすることになりました。
その場で、
「五木田先生、あなたの方法は他のクラスでは難しい。もっと統一感のあるルールを作ってほしい」
「子どもに自由を渡すのはいいけど、荒れるクラスがあるのは自由のせいだ」
という話になりました。
この流れは当時のぼくには完全に謎論理でした。「荒れるクラスがあるのは目の前の子どもの理解が甘いからだよ!」心の中で叫んでいました。
もっともショックだったのは、目の前の子どもに必要な技術を研鑽する方向性から逸れ、なんとか表面的な平等を保とうとする風潮だったことです。
その時の一回だけでなくその風潮は割と長く続きました。
正直、そういった考えを持つ人たちにドン引きしたことを覚えています。
「ああ、子どもに自分の言うことを聞かせたいから教員になったんだな、子どもには勉強しろって言うのに自分は学ばなくてもいいと思ってるんだな」と。
ただ、愚痴っても風潮は変わりません。
人は変わりたいとも思わないのが普通だということも知っています。
少なくとも自分のクラスでは目の前の子どもに必要な実践を選べる権利を保証できる学校にしよう。
というとても個人的な欲求が組織論に興味を持ったきっかけでした。
組織は従うものでなく、創り上げるもの。
そんなことを今考えています。
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