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とねっこ保育園訪問記

前から気になっていたとねっこ保育園(茨城県取手市)にいってきました。


ぼくは「ワイルド&アカデミック」なんてコンセプトの学校をやっている。

にもかかわらず生来の現代っ子であるぼくはワイルド成分を感じて生活する時間がかなり少ない。

友人であり、現代アーティストの知念ありささんが娘ふたりと息子を通わせたいたことがきっかけでぼくはとねっこ保育園を知った。今回は彼女が間をつないでくれて訪問が実現した。その上有休を取ってくれ、案内してくれることに。ありがたいなぁ。


稲戸井駅から車で10分しないぐらいの距離にあるロッジのような建物がとねっこ保育園。二棟あったので、「両方保育園のなの?」と知念さんに聞くと「片方は学童だよ」との答え。いい環境だな〜。

こちらが保育園
こちらが学童


9時が登園時間。早速外で遊んでいる子どもたちを見かける。


子どもたちに「だれ〜?」と聞かれるたび、
「学校の先生だよ、見学に来たの〜」と答える。
「うそだ〜カメラマンだ〜カメラ持ってるもん」
ぼくはうそつきカメラマンになった。


カメラを向けると変顔してくれる。おちゃめ。

誰もがニュートラルな姿勢で見ず知らずのぼくを迎えてくれる。
うれしいよ、ありがとう。

中に入る。

まだ子どもはまばら
壁には絵具
アスレチック

スタッフに見学のご挨拶をさせていただき、もう一度外へ。

登園し終わった子からどんどん遊ぶ。

おちばあつめ
割と急な斜面で野球
フルスイング!!
小屋
 ヤギ!!
凛々しい(この写真の直後に頭突きされた。急に撮ってごめんよ。)

ふらふらと外を歩いていたら、創設者の小松原さんがいらっしゃったとのこと。園内にもどる。

83歳にもなる彼女は40歳のころからこの園を始めたそうだ。知り合いに想いを語り続け、土地を購入するサポートを得、北欧の建築をヒントに建物を建ててもらったそうだ。相当な額だったという。それはそうだ。

「経営のプロではないからお金周りが大変なの。後を継いでくれる若い保育士さんも多いわけではないし。」

資金的、人員的に持続可能な状態にすることは教育にかかわらずオルタナティブな運営をすると、必ず直面する課題だ。

創設者は得てしてエネルギーがあったり、カリスマ的な人格であることが多い。その後を構築していくことは創設とは別の種類の難しさだということは知っているつもりだ。

課題を持ちながらも、日々は続いていく。保護者として運営に参画する知念さんにも葛藤があるようだった。

そんな話の続きに「カレンダーをつくったの」という話が。

毎年連携している保育園同士の子どもの絵を集めて、カレンダーにしているそう。どれも素敵なんだけれど、いくつかを抜粋。


小2


小1
1歳11ヶ月
中1
小6
「みんなとおなじ」にできないと思っていた子が
「恥ずかしいと思っていた窮屈な自分をさらけ出した」時の絵


一枚一枚にキャプションが。

長く話を聞かせてもらっている間は子どもたちはずっと外と中を駆け回る。朝の雑巾掛け以外、この日は?特に何か決まったことをするわけではないようだ。

そうこうしている間に昼食。この園は厨房があり、午前中に作られたものが出てくる。

お味噌汁
豚バラ巻き
かぼちゃとあずきの煮物(いとこ煮っていうの?)
最高の白米


しっかりよそってもらい
みんなでならぶ
いただいてます

驚いたのは残飯の量の少なさ。おいしいもんなぁ。


昼食後、この日は小松原さんの読み聞かせの時間があった。用意するまで読み聞かせの次の時間のお昼寝の準備。
このぐらいから「カメラマン、カメラ貸して!」という声が増えてくる。「ストラップさえかけてくれたらいいよ」と話し、カメラを貸す。

パジャマでパシャリ。
(右に埋もれているわたし)


読み聞かせの時間。

「ごきげんのわるいコックさん」


飴だ!


飴争奪戦

年小はこの絵本で終わり。
年中は次の本、年長以上は4冊目まであった。

最後はみんな仲良くお昼寝。


ちなみに0歳児もいた。保育園だなぁ。


ぐずる
いないいないばあのあと


遊ぶ場所のようで、この場所からは藝術と文化の匂いがする。
それは創設者の小松原さんの哲学が40年ほどの年月を経て場所に染み込んでいるからだろう。都会の加熱する受験競争とは別の軸の尊さをこの場所自体が子どもに伝えているようだ。

午後には学童に来る小学生の姿も。「だれこの人〜」「カメラマン?」
知念さん「小学校の校長先生だよ」
子ども「えーー!ハゲてない!」
そこじゃない。

でも結局最後は「カメラ貸して」になった。
「ストラップさえ〜(以下略)」何人かにカメラを貸す。

いい感じじゃん


ファインダー越しの友達


一緒に

また外に行く

ハート
走り回る


打ち捨てられたフライパンで「落ち葉炒め」

その後、おやつの時間。

揚げ餃子、おにぎり、みかん


年少〜年長に比べたら小学生は大人


美味しかったぁ〜。

ゆったりとした時間を味わいながらも、東京に戻る時間になったので小松原さんに挨拶をする。ここを巣立った子たちの話(高校の時に出稼ぎして留学費を稼いだ子や、学芸大に進み教職の道に進むか迷っている子など)を聞かせてもらった後、
最後に一枚の子どもの絵を見せてもらう。


この子は昔、絵具で埋め尽くす絵を描いてた。ある時、この絵を描いたそう。上の細い赤は希望、下の太い紫は絶望なんだそう。昔は絶望の色で画面が埋まっていた子の変化した絵なのだという。

「また学びにきます」

挨拶をして帰路へ。

外に出たらフライパンドラム。グッドバイブス。


都市部で行うオルタナティブの活動は「ある」の文脈の活動だ。人がいる、モノがある、整備されたインフラがある。その代わりお金がかかる。人が多ければトラブルも発生する。

都会での活動が嫌になったわけではない。毎日豊かな時間を過ごさせてもらっているし、ありがたいことに1年で二つのキャンパスを立ち上げることができた。僕らを応援してくれる人に支えられて僕らはオルタナティブを続けられている。


そんな中でふと、「ない」の文脈にも光を当てたいと思った。人がいない、インフラが少ない。その代わりに広大な土地や自然、おおらかな時間がある。固定費も都会より少ない。トラブルがあっても向き合うよはくもある。

なにより子どもは都会だけにいるわけではない。都会の子にも、地方の子にも選択肢が必要な時代だ。

もちろんそんな簡単じゃないんだろうけれど。別々の文脈で成立するオルタナティブの可能性を信じていたい。



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