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『メトロポリタン美術館と警備員の私ーー世界中の<美>が集まるこの場所で』(パトリック・ブリングリー著、山田美明訳、晶文社)

読了日: 2025/2/16
原題: ALL THE BEAUTY IN THE WORLD: The Metropolitan Museum of Art and Me, 2003

 著者パトリック・ブリングリーは自身のWebサイトで本書に登場する作品リンクを提供しています。この心遣いは彼の人物像を想像させられます。
 以下、引用文のあとにそれぞれの作品画像(リンク)を貼付しております。

ことば選びと感情

 メトロポリタン美術館で警備員として働き始め、さまざまな展示区画を担当しながらそれぞれの作品(遺物を含めて)を鑑賞してゆきます。(警備員にはその十分な時間があるそうです)
 著者パトリックは美術教育を受けたのでしょうか?(そのような明記はなかったと思いますが、見落としたかもしれません)
作品自体の世界に入り込み、また作家の制作現場にも入り込んだような、読者の脳裏にも浮かびやすい見事な表現が多数あります。
 本書全般においてことば選び、文章は精緻かつたおやかな流れのようです。

[…] 眠い目をこすりながら顔を上げると、ちょうど目の高さのところに、スペインのマリア・テレサ王女がいた。
 私はたちまちこんな夢想に包まれる。その部屋には彼女と一緒に、その絵を描いたディエゴ・ベラスケスもいたに違いない。ベラスケスは深々とお辞儀すると、数メートル離れたところにイーゼルを構え、私の一メートルほど先に彼女の知的な姿を出現させる手品を披露したのだ、と。その肖像は実に独特な顔をしていた。実年齢の一四歳よりは幼く見えるが、目だけはもっと大人びている。かわいい子どもでもなければ、元気はつらつとした子どもでもない。優しそうにも意地が悪そうにも見えない。何かを明らかにしているようにも隠しているようにも見えない。むしろ率直で冷静に見える。自分の数奇な人生に慣れるあまり、それを数奇だと思っておらず、引き下がることに慣れていない顔。それはまるで、鏡に映った私自身の顔を見ているかのようだ。

2 窓(p.34-35)

[…] 流れるような筆使いで描かれており、詳しい検討や緊張の後はほとんど見られない。まるで、木漏れ日の差す池に偶然映った反射鏡のようだ。若い男は髪が長く、ひげをたくわえているが、どちらも顔を覆い隠してはいない。その顔は、天使のように穏やかで、生気にあふれ、若々しい。物思いに沈んでいるようだが、何を考えているのかは自分でもわからないらしい。見たところ手袋を外している姿をとらえてはいるが、時間が止まった一瞬を見ているような感じはしない。絵の中の時間は、止まっているというより、たまっているように見える。まるで、過去と未来が生き生きとした現在に包み込まれているかのように、あるいは、この若い男のなかに、無慈悲な時間の流れから逃れている部分があり、それをティツィアーノが描いたかのように。

2 窓(p.38-39)

私は『夏のヴェトゥイユ』という風けがに歩み寄り、その絵が私の視界を覆い尽くすくらいまで近づく。[…] モネは、自分の小さな宇宙の優れた創造主のように、太陽光の入りをちりばめた。熟練の技でそれをばらまき、まき散らし、キャンバスに張りつけた。
[…] モネの絵は、私たちがとらえるあらゆる粒子(風、鳥のさえずり、子供がしゃべる無意味な言葉)が重要な意味を持つ、あのまれな瞬間を思い出させてくれる。モネの絵を見れば、その瞬間の完全性はおろか、神聖性さえ感じ取れる。

5 異国の地(p.103-104)

私が思うに、偉大な絵画というものは見る者に、自明の事実を思い出させようとする。それが現実だと告げる。そこで立ち止まり、すでに知っていることについて時間をかけてもっとよく考えるよう促す。いまの私は、ダッディの偉大な絵画がはっきりと苦しみを提示しているのと同じようにはっきりと、恐るべき現実がもたらす苦しみを理解しているかもしれない。だが、私たちはこうした自明の事実を忘れてしまう。現実が生々しさを失ってしまう。だから、絵画のもとへ戻ってきては以前の自分を振り返り、もう一度自明の事実に直面しなければならない。

2 窓(p.44)

家族

 パトリックには二つ上の兄がいます。数学的天才であり、あたたかい人徳者であり、とても尊敬していて、兄も弟を優しく見守ってくれていました。しかし、結婚直後に身体の異変に気づき、過酷な闘病の末、早逝してしまいます(享年26歳)。
 ニューヨークで働き始めていたパトリックは、自分自身とのみ話ができるような世界を望み、メトロポリタン美術館の警備員として働き始めたのでした。
 母のきょうだいが住むフィラデルフィアで二十六歳の息子を埋葬したあと、ふたりでこっそり美術館へと向かいました。

母は以前から涙もろかった。結婚式のときも映画を見ているときもよく泣いたが、今回は様子が違った。両手で顔を覆い、肩を震わせている。よく見てみると、母が泣いていたのは、心が満たされると同時に砕かれたからであり、その絵が母親の愛情を目覚めさせ、慰めと同時に苦しみをもたらしたからだった。

3 ピエタ(p.58)

人生は長い。若くして死ねば、人生は長くない。

 大きな喪失から離れることはできないのですが、作品との対話、自分自身との対話、そして徐々に警備員仲間との対話や来場者との対話を経ながら、時間薬もあるとは思いますが、世界とのつながり少しずつ求めるように、そして持つようになってゆきます。

悲しみとは何よりもまず、リズムを失うことだ。誰かを失う。すると人生にぽっかりと穴が開き、しばらくその穴の中で身を縮める。私自身、メトロポリタン美術館に勤め始めたころは、その穴を大聖堂にまで巨大化させ、毎日のリズムとは無縁に思える場所にぐずぐずと居座っていた。[…] 人との出会いのリズムを発見するにつれ、まるで、自分がこれからなろうとしている大人を発見しているような感じがしてくる。[…] だから、辛抱強くなろう。親切であろう。他人の風変わりなところを楽しみ、自分の風変わりなところをうまく活用しよう。寛大になろう。あるいは少なくとも、どんなに機械的な状況でも人間的であろう。

8 番人(p.172)

 博識な美術マニアだけでなく、さまざまな来館者が訪れます。もしかしたら美術館そのものが初めてなのかもしれない”いかにもニューヨーカー”な若いカップル。「私はこういう人たちが好きだ。」(p.74)

「すいません。彼女が、この展示物やなんかは全部本物だって言ってるんですけど、そうなんですか?」
私はそうだと答える。
「でも、それってどういうことなんだろう?これはその、現物なの?実物なの?エジプトにあったってこと?」
私はエジプトにあったものだと答える。
すると今度は女性のほうが話し出す。「じゃあ、ここにあるのは・・・」。そう言いながら花崗岩でできたライオンのたてがみをなでようとするので、私は優しく注意する。
「ああそうね、ごめんなさい。じゃあここにあるのは、どれくらい前のものなの?」
私は五〇〇〇年前のものだと答える。
「五〇〇〇年前?」と女性は言う。
「五〇〇〇年前だって!」と男性も言う。二人はふざけて、大したことではないかのようにそれを何度も繰り返していたが、やがて男性のほうが、私に本心を打ち明けるように言う。
「でもさ、これ全部が本当に本物だなんて信じられないよ」

4 数百年前(p.73-74)

この世界はいまあるとおり色鮮やかで豊かである

 10年勤めてきた警備員職を辞し、新しいステップへ踏み出そうとする勇気と自覚が生まれてきます。

[…] キリストの体は、嵐に揺れる船のマストに釘づけにされているかのようだ。それを中心に、ほかの世界が揺れ、回転しているように見える。その優美だが衰弱している体は、またしても私たちに明らかな事実を教えてくれる。私たちは死すべき存在であること、苦しむ存在であること、その苦しみのなかでの勇敢な行動が美しいこと、喪失は愛情と哀しみを引き起こすこと、である。この絵画のその部分は、神聖な芸術が担う役割をみごとに果たしている。私たちがよく知っているはずなのにいまだに理解できないでいることを、直接体験させてくれる。

13 持ち帰れるだけ(p.287-288)


 以下引用は、パトリックの子どもたちへのメッセージとして書かれたものですが、二人だけへのメッセージではなく、パトリック自身へ、また読書や美術館来場者へのメッセージとも読めます。

おまえたちはいま、小さな世界に足を踏む出そうとしているが、その世界は、メソポタミア地方の干潟からパリのセーヌ川左岸のカフェまで、あるいは、人間が何かを成し遂げたほかの無数の地域にまで広がっている。まずは、その広大な全体に身を浸す。つまらない考えなど玄関に置いて美術館に出かけて、自分が無数の美しいものの間に浮かぶ取るに足らないちっぽけなしみになったような気分を心地よく味わう。

13 持ち帰れるだけ(p.292)

 本書は、しっとりとこころが温められるような作品でした。アート好きにも応えてくれるし、どこかに残る過去の苦しさにもそっと触れてくれるような感覚を得ました。多くの方に読まれることを望みます。


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