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[棚田で米を作ってみる](その7)「稲刈り・ハザ掛け」
作業日: 2023/9/24
・本日の作業(稲刈り・ハザ掛け)
5月からの棚田での米づくり作業(田おこしなどの作業は前年11月に農家さんが行っていただいております)のピークをいよいよ迎えました。稲刈りです。
前回作業の9/3(草刈り・下水あげ)時にも稲穂の実りを感じましたが、この3週間でたわわに実り、こうべを垂れる美しい田園風景となっておりました。
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今年の酷暑はようやく下降気味になってきました。当日は気持ちのいい秋晴れ。ですが、青天下で肉体労働を”終わる続けられるだろうか?体力=生命力も下降気味の50歳 + 普段の運動0Kcalなので、不安を抱えながら登田いたしました。
周りを見渡せば、家族連れなど複数人数での作業となっていましたが、小生とお隣は一人ぼっちの作業です。受付時から「え!?おひとりですか?」と確認をいただいてからの今です。
稲刈り用ののこぎり歯になった鎌で刈り、ふた掴み分をひとまとめにして藁で結びます。
この結び方が、経験したことのない、先人の知恵の賜物のような合理的・少量力・持続性のあるものです。この結び方の名称は存じません…。(ご興味ある方は「ハザ掛け 結び方」などでご検索ください)
最初は見ながら動作を頭に入れ、実際にやってみるのですが、力の入れ具合などのコツがつかめず、うまくいきません。しかし、試しながら10回程度やってくると、だんだんとキュッと閉まる感覚に手ごたえをおぼえられるようになってきました。そこで改めて、昔ながらの技法というものは素晴らしいなと感じられます。現代ではハザ掛け自体を行わないらしいので、この技法の継承も危うく感じます。
さて、いざ稲刈りを開始していきます。5月に田植えをした時の苗は赤ちゃんのようでしたが、いま左手に掴んでる相手はがっしりした筋肉質な硬い生命体です。稲の時は3~5本程度を”つまんで”植えましたが、左手には10~15本ほどの太い稲が掴まれています。よくぞ立派に成長してくれました。
刈る作業自体はざくざく進められるのですが、2~3刈るたびにその後結ぶために纏めて畦に運んでゆきます。そこまで運ばず近くに纏めるとしても、スクワット運動の連続です。1時間程度作業を行い、呼吸もMAX状態で俯瞰したら、進捗程度が悍ましく貧弱だ…。”終わりまで”できるかな??
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体力の限界をとっくに超えながら、老体を引きずりながら黙々とやるしかない。だんだだんと休息までの間隔が短くなり、再開までの時間が長くなってくる。
(おそらく)60%くらい進んだくらいで、上段の棚田を作業していらっしゃる女性が(おそらくに小生よりちょっとお姉さん)、「ハザ掛けまでの待ち時間あるので手伝いましょうか?」お声かけいただきました。疲れすぎて声もはっきり出にくかったのですが、かろうじて「お願いいたします」と発声できました。
彼女の作業スピードは速く、そして初期スピードから一切落ちません。「びっくりするぐらい体力あるんですよ」と仰っていましたが、感謝と驚嘆でした。宗教への信仰心は特にはありませんが、世の中に天使がいることだけは確認できました(絵画で描かれるだけではなく、実在を経験的に確認しました)。
神の施しを賜りながらなんとか稲刈り、結びまでは終えることができ、ようやくハザ掛けにかかりました。
買った後の田んぼに木組みで棚を作り、そこに結んだ稲束をおおよそ半分に割って掛けてゆきます。
根からの水分、栄養吸収を絶たれた稲は茎中の栄養分を子孫繁栄のために実(米)に蓄えようとするそうです。逆さまに掛けれられた稲穂は乾燥した空気にさらされると同時に、栄養分を下部の実(米)に下げてゆくという同時作業(現象)をおこなう(助長される)ことがハザ掛けです。
昔はすべての田んぼでこの風景が見られたが、現在ではここのように作業体験を目的などとしない限りコンバインで行われるようです。
今回の棚田経験で植えた米は「日本晴れ」という品種とのことです。甘味などを測定するための”基準米”となっている品種だそうですが、このハザ掛けをおこなった日本晴れはとても甘みのあるおいしい米に仕上がるそうです。
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帰りは、車の場所までたどり着くのがやっと。すでに筋肉痛というか、背中や太ももが痛い。よい運動の後の良い筋肉痛の種類ではなさそうです。
改めて思うのですが、農業全般とくに米づくり(小生が今回経験したという事実に基づいて)には、多くの人手が必要であるということです。昔の農家の家は大家族であり、村全体で助け合いの共同作業を行っていた理由と、日本社会がどのように必要性と相まってつくられてきたかということ(の一部)が、幾ばくかの体験をもって知ることができたと思います。
(まだ作業は終わってはいませんが)米づくりの大変さ~飯を食うこと、人間社会が何のために、どのように構成されるのか、とても勉強になったと思います。
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・人類はいかにして米(または小麦)を主食としたのか
古来の原種にちかい米(または小麦)は、おそらくいまほどにたわわに実をつける穂にはなっていなかっただろう。また人工的に栽培される以前には多種の草花と混在に生息していたであろう一種に過ぎなかったはずである。
その中で、せいぜい十数粒程度がなった小さな実を刈取る、または拾い集める作業は、どう考えても労働消費カロリーと必要摂取カロリーが合致しないように思われる。けれども現在、アジアではコメ、ヨーロッパ、中央アジア、北米などでは小麦が主食となっている。いかにして効率の合わない穀物が人類の数をこれほどまでに増やしたのか。
東レヴァントのナトゥーフ遺跡では1万2500万年前には野生のオオムギを加工して食していたことが推定されているらしい。(『飼いならす 世界を変えた10種の動植物』アリス・ロバーツ著、斎藤隆央訳、明石書房、2020)さらに、当時の現代よりもはるかに低く、いまでは海の底になっている領域にも小麦系を食していた遺跡存在の可能性や、または農耕の遺跡がある可能性もあるらしい。(『人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』(中川毅著、講談社、2017)
人類の永い営みの都度は知りえないけれども、今日稲を刈った経験は、いろいろと考え深いものがある。これからのサスティナブル(空想)を検討するよりもまずはこれまでのサスティナブル(実態)を知る方が価値があるはずだ。
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身体を動かすことも、脳を働かせることもエネルギーが必要。いまここでキーボードをたたくことも同様。カロリーを採取する労働とは尊い行いです。
あちこち痛い月曜日ですが、感慨にふけるあたまの中は心地よいです。