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Jump Kingというゲームをして人生の気付きを得たと、ぬか喜びした件

ファミコン時代からしっかりと地盤を固め、特定の人に愛されてやまない確固たる地位を築いているジャンル、それが無理ゲー。

一歩間違えると「たけしの挑戦状」みたいにクソゲーといわれ、「スペランカー」「魔界村」のように名作といわれるものにもなる。

表題のJump Kingもその仲間で、名前の通りひたすら上を目指してジャンプしていくゲーム。ただ、ジャンプの強さが絶妙に難しく、失敗すると高飛車の121度落下かのように今までの道のりを心と一緒にえぐる様な角度で真っ逆さまにおちていく。とりあえずこれを見ていただきたい。


このように、築き上げたものが一瞬の過ちで無と返す。そしてまた同じ所を何度も挑戦して、いずれ攻略できるようになる。まるで人生を教えてくれるようなゲーム。

それが無理ゲーだ。

なんにせよ難しくて攻略できず、心を何度も折られながらも一歩進んだときの、達成感や高揚感はたまらないものがある。科学的にもそういったホルモンか何かがでていて、それはギャンブルで当たりを引いたときと一緒なものらしい。

そう考えると、小さい頃朝早起きしてゲームをしていたのは、朝からパチンコに並ぶ大人と一緒な心理だったのか、任天堂こえーーー!と思ってしまう。

実はこういったトライアル&エラー(トライ&エラーではないらしい)のゲームが好きで、あまり苦にならない。試行錯誤してる時間が好きなのか、そのうえにある達成感が好きなのかわからないけど、異常な集中力をみせる。

おそらく頭の中では色々なものが、ブゥワァーーーとでているに違いない。

ん?ということは、さっきいったみたいに無理ゲーが人生と一緒なら、試行錯誤してたらブゥワァーーーなんの?

ということは!昨日、木綿豆腐か絹豆腐かで悩んでたときも、ブゥワァーーーなってたのか!そう思うと、昨日食べた絹豆腐なんか美味しかったなぁ。

そう思うのは単純だろうか?もっと「豆の味が」「舌触りが」「んーワンダフルぅ」みたいに表現に試行錯誤したほうが、ブゥワァーーーは来るのだろうか?

あぁ、なんか面倒くさくなってきた。試行錯誤はやっぱり嫌いなのかもしれない!




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