昭和から平成⇒令和と生きた者として
私は昭和から平成⇒令和と生きている。
昭和生まれの私は祖父母は戦争も経験している大正生まれ。
大正世代の方々の言葉を聞く機会は本当に無くなって来ている。これは平成の終わりから令和の今になる年々、感じる。
私のおじいちゃんとおばあちゃんは教員であった。そして、両人ともクリスチャン。
おばあちゃんは大分、歳を取ってから洗礼を受けて、クリスチャンになり。おじいちゃんは戦時中もクリスチャンだった。私のひぃおじいちゃんがクリスチャンであり、その影響は間違いなく受けているとは思うけど、私の祖父がなぜ、クリスチャンになったのか、私は知らない。
文章にして気づくこともたくさんあるなーと今更、思慮している。
戦時中のクリスチャンがどれだけ、大変な思いと偏見を受けながら生きて来たのか、私はおじいちゃんの言葉で幼児の時から聞いていた。
私のおじいちゃんはTHEおじいちゃんだ(笑)同じ話を何度も何度もする。若い時の自慢話を何度も何度もする。でもそれが嫌だ。と思ったことは無い。哲学の刷り込みだったと思い。感謝をしている。
間違いなく、私はおじいちゃんとおばあちゃんの影響を大きく受けている。
どこにいても、誰とでも仲良くなれるおばあちゃん。
おしゃべりは好きだが、少し変わり者で友達は少ないおじいちゃん。
よく長く一緒にいると、夫婦は似て来るなんていうけど、この2人は似ていなかった。
でも、愛に溢れる2人だった、差別や心無い言葉は他人にしない。祖父は怒ることも多かったが真ん中に心があるまさに優しい。人だった。
今の時代も大変な思いや偏見を受けながらも一生懸命に生きている人達はたくさんいると思う。
受けた度合いなど比較することでは無く、いつの時代も自分と異なる存在を拒絶する心が人間には存在する。
この真髄を体験しながらも決して、このような表現をしないおじいちゃん。
家族に負担をかけたり、貧乏になるくらいなら、信念や考えを曲げてでも、家族の幸せの為に変えるべき。世に適合すべきであったと語る、おばあちゃん。
正解なんて無いんだろうけど、こんな哲学な話を私の祖父母がしていたと思うと。今、外からの声で苦しむ人に頑張れでなく、離れて良いんだよ。というメッセージを戦争体験した人達の声を参考に伝われば、本当に良い。
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