#47 映画『怪物』を仏教的に解釈してみたら
是枝裕和監督の映画『怪物』を見ました。
仏教的視点から感想を書きます。
(少しネタバレを含みますので、
まだ見ていない方は読まないで下さい)
怪物だーれだ?
小学5年生の息子が
担任の先生にイジメを受けてるのでは?
と疑う母の視点からストーリーが始まります。
同じ出来事・事件を
母親⇒担任の先生⇒子ども
と別の登場人物の視点で描くユニークな映画です。
『怪物』というタイトル通り、
「誰が怪物(悪者)なんだろう」と考えさせられます。
ある場面では、「この先生ひどい!」と思い、
違う場面では、「いや、でも校長先生が悪いのかな」
とグルグル怪物が変わっていきます。
視点が変わると、
こんなにも見える世界が変わるのだと
実感しました。
翻って、私の日常、私が見ている景色は、
他人には違って見えているのだと知らされます。
「ありのまま」には見られない
人間である以上、物事を「ありのまま」に見ることができません。
無意識に自分の判断を加えたり、
色眼鏡で見てしまうのが人間です。
だから、同じものを見ているはずのに、
人によって見えるものが違うのです。
お釈迦さまは、
さとりを開くために実践すべき8つを説かれました。
八聖道(はっしょうどう)と言います。
その1番目が正見(しょうけん)です。
ありのままに見ること。
私たち人間は、ありのままには見られないんですね。
「自分は絶対正しい」という執着
誰もが無意識に「自分は絶対正しい」と思って
目の前の出来事を認識します。
誰かに腹を立てるときは、
たいてい「どう考えても相手がおかしい」
という気持ちでいっぱいになります。
裏返すと「自分は絶対正しい」。
「どう考えても」と言ったところで
所詮考えてるのは自分です。
相手に置き換わることはできません。
「自分が正しい」に執着して、
執着している自分に気付けない。
執着は人間が持つ煩悩(ぼんのう)の1つです。
煩悩とは、私たちの心身を煩わせ悩ませる心のはたらき。
煩悩があることによって、人間は苦しむわけですね。
客観的に見ると冷静に考えられますが、
こういう執着を手放すことは至難の業です。
私の場合
私も、もちろん自分の考えに囚われています。
特に子育てをしていると毎日のように。
子どもの行動・言動に対して、
「もっとこうしてほしい」という気持ちは常にあります。
「さっさと宿題終わらせちゃえば良いのに」
「早く寝たら早く起きられるのに」
「週末やっとけば月曜日の朝焦らなくてすむのに」
これらは「私が正しい」と思い込んでいるのであって、
子どもには子どもなりの「自分が正しい」という思いがあります。
いかがだったでしょうか。
映画『怪物』を見て仏教的視点から感想を書きました。
他人に腹が立つとき、
「誰でも自分は絶対正しいって執着してるのよね~」
と認識できると、ほんの少し心が軽くなったり寛容になれます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
素敵な1日をお過ごしください。