二次元オタクの私、再びMAZZELにハマる〜20241015 in 大坂城ホール感想〜
昨年、BE:FIRSTに出会い、初めてボーイズグループにハマった私! 同じBMSG(事務所の名前)からデビューした八人組ボーイズグループMAZZELにもハマり、何とも充実した生活を送っていた。
しかし、今春体調不良で仕事を退職。
なかなか外に出られない療養生活の中で、まさかの今更『僕のヒーローアカデミア』にハマってしまったのである!
小学生の時分、BLEACHと衝撃の出会いを果たして以来、生粋の二次元オタクだった私。『やはり私は産道を通過した時点から二次元オタクだった』などとふざけたことを抜かしながら、すっかりボーイズグループから離れていた。
しかし、夏さながらの暑さがつづいた今年の九月。
忌憚ない意見を述べるBE:FIRSTファンの友人が、めずらしく言ったのである。
『MAZZELのSeaside Storyめっちゃ良いよ』と。
私は『そうなんや』と答えながらも、『いやいや、私最近ヒロアカの主題歌か、米津さんとかキタニタツヤとかしか聞いてへんがな。全然系統違うんやけど、またハマるんやろうか?』などと、首を傾げていた(これぞ愚者の極みである)。
しかし、友人が言うからと、重い腰を上げて聞いてみると、仰天!
そのさわやかで、微かに郷愁的なサウンドにみるみるとりこに! これぞBLEACHと出会ったときの衝撃! まったく見事な手のひら返しである。
そして、気づいたときには、オタク特有の行動力でアリーナツアーのチケットを確保していたのである。
そして来るべき、十月十五日。淡い期待と不安とを胸に、大阪城ホールに足を運んだ。
体調を崩したり、仕事を辞めたり、二次元オタクに戻ったり、そして再びMAZZELにハマったり。
様々な紆余曲折を経て、ようやく生で観たMAZZEL。
彼らを初めて観て何よりも驚いたことは、彼らが本当にやさしい人だったということ。
指先ひとつにいたるまでの、パフォーマンスへの誠実さ。ファンに向ける眼差しの温かさ。そして、ファンに絶対幸福を届けてみせるという、熱く厚い心意気。
彼らのやさしさはとても素直で、それは身体と心に傷を負った私にさり気なく寄り添ってくれた。彼らは会場に集まった人たちがどんな感情を抱えていようとも、徹底的にやさしく、そして寛容なのだ。
ボーイズグループをあまり聴かない人。時と場合によって、ボーイズグループが聴けなくなる人。他に好きなものが沢山ある人。日々の生活に疲労し、温かくてやさしいものに触れたい人。質が高く美しいパフォーマンスを観たい人。人柄が伝わる誠実なパフォーマンスが観たい人。
そんな人たちにこそ、MAZZELのライブを是非観て欲しい。
気になっている方や、ライブに行くか悩んでいる方の後押しになればいい。さらに、彼らの魅力が、彼らを知らない人に、少しでも伝われば良い。そう思いながら、久しぶりに言葉を紡ぎます。
本当にびっくりするくらい長くなってしまったので(語りたいことが多すぎた故の愚行です)、目次を利用して読みたいところだけ読んでください!
どこ読めば良いかわからないよ〜って方は、最初と最後だけでも読んでやってください。少しでも目を通してくださると、本当に、本当にうれしいです。
MAZZELについて
とりあえず、MAZZELを知らない方もいらっしゃると思うので、簡単に説明書きを。
MAZZELとはBE:FIRSTが所属するBMSG発の八人組ボーイズグループ。グループ名のMAZZELは、幸福を意味する『mazel』に迷路『maze』と情熱『zeal』を掛け合わせた造語。
アメコミのMARVELのごとく、時に混ざり合い、時に反発し合うような、個性豊かなパフォーマンスを魅せるグループ。『幸福』や『情熱』と言う言葉を掲げることもあって、ヒップホップ色が強いBE:FIRSTに比べ、ポップかつ、ストーリー性のある楽曲が多い。
MAZZELの魅力とは
一度離れたにもかかわらず、私がMAZZELに再度ハマれたのはなぜか。それはやはり楽曲が好みだから。そもそも戻ったきっかけも、Seaside Storyにつよく惹かれたからである。
元々ボーカロイド等の軽快でキャッチーな曲が好きな私にとって、MAZZELの曲は好みも好みのドストライク。メンバーの声質が一人一人特徴的なので、表現できる曲のジャンルが多いかつ、一曲の中でも全く飽きる瞬間がない。
例えば爽やかな洋楽っぽい曲を聴きたいときは、Seaside StoryやHoliday、ジャジーな曲が聴きたいときはVividやParade、しっとりとした感傷的な曲が聴きたいときはFantasyやICE、変則的なボカロ調の曲が聴きたいときにはMAZQUERADEやCarnival。
私はその時の気分に合わないと、いくら好きなアーティストでも聴けなくなるたちの人間である。そんなわけで、ジャンルにしばられないMAZZELは私の需要に非常にマッチしているのだろう。
ビジュアルや、キャラクター性、パフォーマンスの質、などボーイズグループを好きになる理由は人の数だけある。
そんな私はロックバンドやボカロを好むのと等しく、曲が好きだからMAZZELが好きなのである。
それ故に、MAZZELのライブに対する期待値も高ければ、曲が好きであるからこその不安もあった。万が一、音源を聴く方が良いと思ってしまったらどうしよう、などと傲慢な不安を抱えていたのである。
しかし、それは全くの杞憂だった!
前置きが随分長くなったが、ここからライブの感想について、熱く熱く熱く語っていこうと思う。
ライブの感想
まず、とりわけ衝撃的だったのは、想像の数倍ダンスが上手かったということ。
正直、あまりの上手さと迫力に、私は開始五分もしないうちに泣いてしまった。驚き。私は最近ヒロアカでしか泣いてないから(私はヒロアカが好きすぎて、アニメ全159話を何回も繰り返し観ている)ヒロアカほど心を揺さぶられたことに心底驚いた。それは感動や感激などとは違う、畏怖に近い涙。凄まじく熱量のあるパフォーマンスに度肝を抜かれ、手拍子も忘れて、ぽかんとしてしまった。
ただ、改めて考えてみれば、MAZZELはダンサーとして結果を残しているメンバーが多い。
例えば、数々のダンスバトルで優秀な結果を残してきたリュウキやラン。
そして、ちゃんみなをはじめとする有名アーティストのバックダンサーを務め、ダンスインストラクターもしていたタクト(ちなみにヒロアカで爆豪勝己を演じている、岡本信彦さんのツアーでもバックダンサーをしていたようである。うれしい)。
さらに、ブレイクダンスで全国一位に輝いたこともあるセイト。
半数のメンバーがアーティストとしてではなく、ダンサーとしてキャリアを積んできたというのは、ボーイズグループの中でも珍しい部類に入るのではないのだろうか。
メンバー各々の積んできた経験が、グループ全体のダンスレベルに直結している。ライブを観て、改めてその質の高さにはっとさせられた。
八人で形作るフォーメーションの堅牢さ。音をきちんと拾い切る身体の技術。そして全員の個性を活かしつつも、統一感を失わない姿。
ライブで一層際立つそれらを目の当たりにすると、偉大さがよくわかる。積み重ねた努力が可視化された、華やかで躍動感あるダンスは、見ていて本当に気持ちが良い。次、いつ生で観られるのだろう、とはやる気持ちが抑えられない。
また、ダンス以外で印象的だったのは、ずばり表現力の豊かさである。
わかりやすく言うと、彼らはとにかく〝ギャップのある〟人たちなのだ。
MCで芸人さながらのツッコミとボケを見せだと思えば(関西人がメンバーの中に三人も、何と三人もいるので、ボケとツッコミのテンポ感が非常に良い。詳しくはこの動画などを見ていただけると、面白さがわかっていただけると思う)、曲が始まるとがらりと表情が変わる。それはもうあまりにも劇的で、私は思わず「え?」と、二度見をせずにはいられなかった。
とりわけ驚いたのは、Waterfallの曲中。
これは民族音楽を想起させるような妖しい音遣いと、難易度の高いダンスが印象的な曲である。
曲がはじまり、息を呑んで鬼気迫るようなダンスに目を奪われていると、曲中でぴたりと音が止まった。
「え?」と私が戸惑っていると、ナオヤくんが突然、静止しているメンバーをからかいはじめたのである。ポーズを決めているメンバーの身体に触れたり、くすぐったり、面白いポーズをさせたり。予想外の行動にぽかんとしていた私も、次第にくすくすと笑いが漏れてしまう。
そうやってすっかり油断していたら、突如雷鳴のように曲が始まり、ナオヤくんがまるで男装の麗人のような、挑発的な妖艶さを醸し出す。瞬きひとつで、別人に変身するのである。それはコミックの中で少年少女が変身するときのような劇的な変化。二次元オタクで、ギャップに弱い私は、その変化に見事心を打ち抜かれたのである。
今はナオヤくんを例に挙げたが、MAZZEL全員が、歌で、ダンスで、表情で、仕草ひとつで、するりと物語の中に入ってしまえる。それは時にアメリカンなコミックであったり、甘美な児童文学であったり、仄淋しい映画であったり、はたまたスリリングなバトル漫画であったりする。
彼らの佇まいから、様々なストーリーが透けて見える。ライブであると同時に、まるでテーマパークに行ったような不思議な高揚感が味わえるのである。まさに、極上のショーそのものであろう。
彼らの一人一人の突出した個性が、ライブをひとつのショーに仕立て上げているのである。
さて、そんな夢のような世界を作り出す八人について、一人一人語っていこうと思う。
カイリュウ
推しです! 私の推し! これはMAZZELを好きな理由にもつながるのだが、私は彼の声に惚れています。初めて聴いたときから、ずっと彼の声に耽溺しています。
カイリュウくんとの出会いは、BE:FIRSTを輩出したオーディション、THE FIRST。
彼は惜しくも三次審査で脱落するが、その縁でBMSGに練習生として所属することになる。そうして、MISSION×2(MAZZEL結成に至るまでのオーディション)で圧倒的な歌唱力を見せデビューに至った。なかなかドラマチックな経歴の持ち主である。
人の記憶に残る重層的な歌声は、THE FIRSTのときから話題になっており、私も心を打ち抜かれたひとり。
とにかくカイリュウくんの歌声が沢山聴きたくて、彼のYouTubeチャンネルにアップされていたカバー動画を、何遍も何遍も聴いていた。
とりわけVaundyのカバーは私の生活によく馴染み、眠れぬ夜半や、友人とのドライブの際に流していた。彼のことを何も知らぬ音楽好きの友人(好きなバンドはPeople in the boxという、生粋の音楽好き)にも『音楽好きには堪らない歌声』と好評である。
そんなカイリュウくんの生歌は、もうとにかくやばかった。やばい。やばいとしか言えない。
会場に広がってそのまま溶けてゆく。カイリュウくんが歌った瞬間、会場がカイリュウくんの色に染め上げられる。
MISSIONやMAZQUERADEではひとときの獰猛さが顔を出し、HolidayやLove Letterは隣で語りかけてくれているような繊細さが揺蕩う。
しかし、その魅力は歌だけにあらず!
生で聴く彼のラップは、何とも秀逸なのである。
私のイチオシは、K&Kの挑発的なラップ!
柔らかな声の彼にしては珍しい、ナイフのごとく鋭利な声。ラップと歌で、明確に発声や意識を切り替えているのがよくわかる。それによって歌との差異が生まれ、より一層歌に深みが増している。
カイリュウくんの歌には物語があって、ささいな強弱や息遣いひとつでメロディーに色がのる。まるで詩人のように歌う人。
そんな彼の声が大阪城ホールに響き渡るたび、ついつい瞼を閉じて、歌声にうっとりと溺れた。単純に上手いだけじゃない。自身の魂に刻まれた記憶を、ふっと掬いあげてくれるような、根源的な歌声をしている。
あと、歌以外に是非見て欲しいのは、彼のトーク。彼は歌が上手い上に、とにかく、とにかく、おもしろいのである!
関西出身の彼は、MCになった瞬間めちゃくちゃしゃべる。
メンバーを巻き込んで全力で笑いを取りにくるので、神々しい歌との温度差で風邪をひきそうになる。まじでボケを拾う速度が速すぎる。瞬足。コーナーで差をつけまくっている。普通に面白すぎて、バラエティを見ているような心地で爆笑しまくっていた。
神秘的な歌声と、朗らかでユーモア溢れる人柄。そのギャップに目が離せない。
私は多分、彼のことはずっと好きだと思う。そして、彼の歌声もずっと好き。彼の声を聴くと、窮屈にしばられた心がふっとほどける。私の根源的な幸福。
セイト
生で見た衝撃が一番大きかったのが、おそらくセイトくん。
ゆったりとした口吻と、穏当な性格。そして、存外屈強な体躯に、美しい面差し。
画面から観ていてもその魅力は十分伝わっているつもりだったが、生はまるで違った。私はセイトくんの本当の魅力を、何ひとつわかっていなかった。そう思わせるほどの迫力が、彼にはあった。
なんせ彼が中央に来ると、存在感がものすごい。彼の後ろに特殊なオーラが見えるもん。それくらい華やかでセクシーで、パフォーマンスに重みがある。そう、重みがあるのである。
前述したが、MAZZELというグループは、メンバーの個性が非常に突出している。
いくら個性が豊かとは言えど、ことボーイズグループにおいては、得意とするパフォーマンスやグループのカラーって、ある程度統一されている印象がある。
統一されていることがグループの個性になり得るし、かえって統一されていないとアンバランスですらある。
しかし、MAZZELにおいてグループのカラーと言えるものは、真面目さや優しさと言った気質的なものに過ぎない。パフォーマンスのカラーは、異質なほど異なっている。
そんなわけで、MAZZELってボーイズグループとしてはなかなかピーキーな性質を持っていると思う。燃費は悪いけど粋なクラシックカーみたいに。
けれど、そこにひとつの軸をもたらしているのが、セイトくんとタクトくんなのである。
二人のずっしりと安定したパフォーマンス。それが間違いなく、MAZZELの基盤となっている。
なおかつ、彼らの温和な人柄が、MAZZELのメンバーとファンに安心感を与えている。彼ら二人は、魅せるところと、引くところ。その強弱の精度がおそろしく高い。とても器用な方々なんだな、とパフォーマンスを見て感嘆した。
ちなみに、セイトくんの一番好きなパフォーマンスは、K&K。
とにかく、声がセクシー。セイトくんのハスキーな声が、妙薬のごとく上手く作用している。まるでブランデーのようにひどく官能的かつ、挑戦的な声。テナーサックスみたいな気品とやんちゃさが混ざり合って、心地よく耳に残る。
リアルな話、ライブ後に一番リピートしているのはK&Kだもんね。
セイトくんはかつて自分の声を好ましく思っていなかったようだけれど、彼の声があるかないかで曲の深みが全然違うと私は思っている。とても芳しいセイトくんの声。
あと、これはまじで生で観てほしいのですが、セイトくんのブレイキン!
もうとにかくダイナミック! なぜ身体を片手で持ち上げられるのか。なぜ、片手で持ち上げた身体をぴたりと静止できるのか。なぜあれだけ回り続けて、その後もさらりと涼しげな顔で踊ってしまえるのか。もう凄すぎて世界七不思議レベル。
ダンスに明るくない私にとって、わかりやすく迫力のあるブレイキンって、とても魅力的に映る。
MAZZELのライブってショーやサーカスのように心躍るものだったけれど、セイトくんのブレイキンがそのレベルをもう三段階くらい引き上げていると思う。彼がMAZZELにいる事実に対し、思わず神に感謝したくらいである。
タクト
どうやらMAZZELを生で観た方は、たっくんのダンスにハマるらしい。などと、呑気に分析していたときが私にもありました。
もう生で観たら、その妖艶さに慄きます。彼に視線が奪われていると気づいたときには、そのダンスの艶やかさに夢中になります。
そのミステリアスな色気は、おそらく緻密な技術に裏打ちされたラフさにあると思う。
たっくんって、信じられないくらい軽やかに踊る。実際に見ると、本当によく伝わってくる。いかにも簡単そうに、難しいことは何もしてないです、といった顔で、カジュアルに踊る。
形に囚われすぎず崩すところは崩し、けれど見せたいところは明瞭に魅せる。その柔軟さとアンバランスさが、彼の色気の肝なのだと思う。
ファッションにおいても、スウェットで洗練されて見える人が、結局一番お洒落に見える。
たっくんのダンスって、まさにそんな感じ。着実に積み上げてきた基礎と、膨大な経験があるからこそ、ひとつひとつの動きに余裕が生まれる。その余裕に落とされた僅かなスパイスが、たっくんの妖しさの秘薬なんだと思う。
そして、たっくんはダンスの人、というイメージが強かったけれど、歌も非常に上手かったです。ダンスと同じくとても安定していた。声がきっちり通るし、音源通りに気持ちよく歌い上げてくれるので、歌でもメンバーを引っ張り上げている印象だった。
たっくんは物静かで温厚だけれど、どこかきりりとしたつめたさというか、威厳のようなものがある。
最年長が鷹揚だからこそ、みんながのびのびとできる。そして、最年長に秘めた強さがあるからこそ、グループの足場が固まる。
たっくんが最年長であってくれるからこそ、私は安心してMAZZELを見られるんだろうな。
ナオヤ
中性的な顔立ちに、可憐な所作。まるで楚々とした少女のごとき、美しい容姿を持つナオヤくん。
それはライブでもやはり際立っていた。妖精が鱗粉をきらきらと溢してゆくように、彼が立つ地点は燦々と光り輝く。
けれども、ナオヤくんの魅力はその〝ギャップ性〟にある。
生で観たらわかるんだけど、ナオヤくんってどれだけ言葉を尽くしても、彼の魅力を的確に言い表せられている気がしない。
というのは、彼がステッキを振る魔法使いのごとく、沢山の魅力をいともたやすく扱ってしまうから。
VividやHolidayだととびっきり可愛い笑顔を披露するのに、CarnivalやWaterfallだと途端に人を惑わす蠱惑的な表情を見せる。
おどろくのは、その振れ幅をダンスの質感にまで落とし込んでくる技量である。
しっとりとした曲では、しなやかな体躯を活かした柔和なダンスを魅せたかと思えば、エネルギッシュな曲では、にわかに肉食獣のような、男性的なダンスを披露する。
刻々と移り変わる空の色のように。あるいはわずかな色彩の変化も逃さないモネの筆致のように。ナオヤくんは一瞬を見事に操りながら、自身の美を余すことなく表現するのである。
ナオヤくんに見惚れていると、時間の流れを忘れてしまう。それほどに現実感が希薄で、同時に圧倒的な存在感がある。
けれど、彼の夢幻的な雰囲気は、けっして近寄りがたいという意味ではない。
MAZZELのライブでは、曲間にファン参加型の以心伝心ゲームが開催された。
そのときずっと立っているファンに対し、何遍も何遍も「みんな座ってな」「疲れてない?」「後半は休む暇ないから、今のうちに休んどきや」と、こちらを労るような温かい言葉を投げかけてくれる。
その声がとても素直な響きを帯びていて、心底こちらを気遣ってくれているのが伝わってくるのである。
ナオヤくんは本人がお姫さまみたいなのに、ファンをお姫さまや王子さまのように、丁重に扱ってくれる。だからこそ、あんなにも人を飽きさせない多彩なパフォーマンスができるのだと思った。
あとこれはきわめて個人的な意見だけど、二次元オタクはナオヤくんに惹かれると思うんだよな。
まるでコミックの中から飛び出したかのような端麗な面差し。そして、そこはかとなくミュージカルを意識させる、何かを憑依させたかのようなパフォーマンス。
ゲームやアニメのキャラクターを想起させる、架空と現実の奇妙な均衡がたまらない。
とにかく、Carnivalのナオヤくんを是非観ていただきたい。私は一時期、毎日これを観てました。
ナオヤくん、沢山の人に愛される素質を持ち、そこにけっして驕らない。底知れない魅力をもった、愛情深い人。
ハヤト
ハヤトくんは、とってもラブリー! そのつややかな声が会場に響くたび、アラザンが降り注ぐように、カラフルな幸福が次々と弾けてゆく。
ハヤトくんがセンターにやって来たときの、明るさと多幸感がたまらない。ハヤトくんのパフォーマンスを思い出すと、とてもハッピーになる。
ハヤトくんといえば、リュウキと同じくメンバー最年少。
それ故にオーディションの時分は、葛藤することが多かったように思う。
彼は身体の線が細く、さらにガールズダンスを経験していたこともあり、力強い動きを苦手としていた。また、瑞々しく清らかな声を持っているのに、声変わりの時期と重なり、それを上手く活かしきれていなかったように思う。
でも、アリーナで観るハヤトくんは、まるで別人だった。
瑞々しい声は会場の端まで伸びやかに響き渡っていたし、ダンスにはきりりとした男性的な美しさと、女性的な可愛らしさが宿り、唯一無二の魅力を醸し出していた。
彼が歌うたびに、がらりと曲の印象が変化し、それが見事な調和を生み出している。彼の声によって、どんな曲にも親しみやすさが生まれているのである。パフォーマンスに力強さが生まれた結果、彼の持ち味である可憐さに、より一層磨きがかかったように思われる。
さらに私が感心したのは、何気ない所作から滲み出す品格と、利他的な精神性。
MAZZELは私が今まで見てきた沢山のアーティストの中でも、とりわけ温かく、親切で、愛情深いという印象を抱いているが、その筆頭がハヤトくんなのである。
彼はとても理知的で、他者から自分たちがどう見られているか。そしてその中で自分たちはどのような振る舞いをすべきか、ということを、きっと誰よりも考えている。
だからこそ、幸福を届けるという目的に対し徹底的に従順で、どのようにすればファンに届くか、どのようにすればファンが幸福になるか、ということを考えてパフォーマンスしている。
その姿勢はMCやファンサの端々でもよく伝わってきて、その度に胸がつまるような感動と幸福が込み上げてきた。
ハヤトくんの甘く感傷的な声と可憐で力強いダンス。そして、何よりもその誠実さは、MAZZELと世界への架け橋になるだろうと、私は予感している。
リュウキ
彼はね、驚くことにめちゃくちゃワイルド! なんです。
顔立ちもどちらかと言うと可愛らしく、仕草には愛嬌があり、メンバーからもよくいじられるリュウキ。
そんなリュウキが生で観るととてもとてもワイルド。
あまりのかっこよさに、はっと息を呑む瞬間があったくらい。誰もがリュウキに惹かれてしまうような、絶対に無視できないかっこよさを持っている。
リュウキはおそらく、自分のかっこよさに自覚的かつ、無自覚なんだと思う。これは矛盾しているんだけれども、リュウキにおいてはけっして矛盾していない。
自身の〝これがかっこいい〟をはっきりと持っていて、それを再現できる高いダンスの技術と、何事にも果敢に挑戦できる胆力がある。
けれども、生来の純朴さが絶妙な〝スキ〟を作り出して、自覚的に無自覚な、黄金比のかっこよさを醸し出している。油断していると、その魅力に瞬時に噛みつかれる。
パフォーマンス時の煽情的な視線、躍動するような肉体の動き、ブレることのない安定したラップに、ファンを慈しむような愛情深い眼差し。沼です。生で観たら誰もがいつの間にか、リュウキを好きになっていると思う。
そして彼は本当にダンスが上手い!
私の座席はBブロックの着Sで、メインステージからは少し距離があった。それでも、リュウキのダンスには〝遠さ〟を全く感じなかった。
音と身体がダイナミックに共鳴して、小柄な体躯にもかかわらず、見事な迫力がある。リュウキのダンスは見ていて愉しいし、素人にもその〝凄さ〟がわかる。
SKY-HIさんはリュウキを〝飛び道具〟と称していたけれど、まさに言葉通りに作用していた。
リュウキが八人の中から飛び出してくると、人々の視線がリュウキに収斂される。そして、『次は何をしてくれるのだろう』『次は何を見せてくれるのだろう』という、期待と高揚が胸に立ち込める。コミックを夢中で読んでいるような感覚。
こんなに才能豊かなのに、まだ十代なんだよな。末恐ろしいです。
彼がこれからどのように歳を重ねて、そのワイルドさに磨きをかけていくのか。一寸たりとも、目が離せない。
ラン
ようやく生ランちゃんですよ。いやぁ、感慨深い。
私がどうしてこんなにも感極まっているのかというと、ランちゃんはTHE FIRSTで最終審査まで残った参加者の一人だったから。
私はTHE FIRSTをきっかけに、BMSGのことを知った。
THE FIRSTにはどこか少年漫画のような真っ直ぐさと情熱があって、少年漫画好きの私は夢中になった。私がTHE FIRSTにハマったことを意外がる友人たちに「これは実質週刊少年ジャンプ」と豪語していたほどである。
私はTHE FIRSTにひどく傾倒したので、選ばれなかった参加者のその後についても、持ち前のオタク根性でよく調べていた。そこで、彼がMAZZELとしてデビューしたことを知ったわけである。ランちゃんが私とMAZZELをつないでくれたのだ。
期待に胸を膨らませて観たランちゃんのパフォーマンス。
それはもう〝圧巻〟の一言に尽きる。
そもそも、彼はダンスのイメージが強い。
事実、彼自身もダンスにおいては確固たる自信を持っている。ダンスを魅せるときの彼からは、他に追随を許さないような超然とした何かをひしひしと感じる。
けれど、今回何よりも驚いたのは、歌である。
以前より歌を課題にしていた彼は、オーディション時から大きな会場で歌声を響かせることに、どこか抵抗のようなものがあったように見受けられる。実際、歌ったときに滲む自信のなさに対しては、度々SKY-HIさんから指摘されていた。
しかし、大阪城ホールに響き渡るランちゃんの歌声は、至極の歌声だった。
弱々しさなど微塵もなく、自信と覚悟に満ちていた。歌うことを心底愉しいと思っている人の歌で、彼が歌うたびに心にすっと爽やかな風が抜けていくような、清々しさと気持ちよさがあった。本当に、何て澄んだ声なのだろう。そして、何と人の胸を打つ歌声なのだろう。
ランちゃんはMAZZELの中で、他のメンバーよりも先に世間の耳目にさらされていていた。さらに、THE FIRST時からファンも多かった。
ランちゃんとレイコくん(THE FIRSTでメンバーに選ばれることはなかったが、彼の人柄と歌声は多くの人を魅了した。ランちゃんとも仲が良かったため、彼ら二人が同じグループで活動をすることを待ち望んでいた人は多かったことだろう。しかし、様々な事情があり、レイコくんはソロでデビューするに至った)がいるグループを、というのがMAZZELの起源であるが故に、他のメンバーとは異なる重圧があったと思う。
さらに、BE:FIRSTが目の前で走りつづけている現状も、喜ばしいと思う気持ちはありつつも、焦燥に駆られることもあっただろう。繊細で優しく、自分よりも他者について考えられてしまうような人だから、沢山苦悶することがあったように思う。
だからなのだろうか。ランちゃんのパフォーマンスには厚みがある。積み重なった葛藤や苦労を、パフォーマンスとして見事昇華させているのである。
苦しみを糧にして、人生が、物語が透けて見える純度の高いパフォーマンスをする人。そして、それはMAZZELの核となり、ランちゃんこそMAZZELの要といっても過言ではない。
以前、SKY-HIさんはランちゃんを目にして『王者の風格がある』と口にしたが、まさしくランちゃんには、グループを引っ張る王としての素質を感じた。彼の人生が伝わる、本当に素敵なパフォーマンスだった。
エイキ
個人的な話だが、私はエイキの人柄が心底好き。MISSION×2を観ていただけたらわかる通り、彼はたゆみなく努力をつづけられる人で、さらには人をごく当たり前に(そこに打算的な感情や、押し付けがましさなどは微塵もなく)丁寧に扱うことができる人。
おそらく、彼は人を粗雑に扱うことなどなく、いつも誠実に真摯に、人と対峙するのだと思う。私にはないものを持ち、私が憧れるものを持っているからこそ、私は彼を人として尊敬しているのである。
今回のライブでは、そんなエイキの誇るべき素晴らしいところが、余すことなく輝いていたように思う。
まず、何よりも歌の上手さ。声に厚みがある。身体全体をしっかりと響かせて、丁寧に発声しているのが伝わってくる。エイキが歌うたびに私は思わず息を呑み、歌い終わった瞬間に、はっと息を吐いた。まるで神聖で豊かな何かに、抱きしめられているかのような感覚。
しかし、ダウナーな曲ではまるで人が変わったかのように、狂おしいほどの色気をまとわせる。そうして、しっとりとしたバラードでは、仄淋しい秋の夜のような切なげな歌声で私たちを酔わせる。エイキはただ上手いのではなく、精緻な表現力で、曲にえもいわれぬ奥深さをもたらすのである。
そして、その繊細な表現力をライブで可能にしているのは、彼の持久力にある。学生時代、野球の強豪校で活躍した彼は、とにかく身体能力が高く、頑健なのである。
激しいダンスが続いた後や、疲れが出やすいライブの後半。普通ならば少しくたびれてもおかしくないのに、序盤とまるで様子が変わらない。むしろパフォーマンスは落ちるどころか、曲数を重ねるごとに、より情熱的に、より華々しくなってゆく。顔色ひとつ変えず、激しいダンスを難なくこなしていく姿。MAZZELは全体的にスタミナのあるメンバーが多いイメージだけれども、エイキはその筆頭だろう。
ライブの後半、一人スポットライトを浴びながら、アカペラでLove Letterを歌うその神々しい姿。その堂々たる歌いっぷりと、満ち満ちた歌声。
彼が蒔いてきた種。野球と音楽。
形は違えど、彼がひたむきに紡いできたその歴史が、彼のその努力が、今沢山の人に幸福をもたらしている。そんな彼の歩みはとても美しく、だからこそ、彼の歌は心の内側に巣食う淋しさに、やさしく沁みてゆく。
彼のように嘘がない人が居てくれれば、今後MAZZELがどんな迷路に迷い込んだとしても、きっと大丈夫だと思える。エイキの言葉が、振る舞いが、そしてその誰も置いていかない、邪気の全くないやさしさが、私たちを安心させてくれる。
MAZZELにエイキが居てくれて良かった。そして、こんなに心根のきれいなエイキが安心して背中を預けられる七人が居てくれて、本当に良かった。
一番伝えたいこと
本当に長々語ってしまった。彼らがあまりにも魅力的すぎて、言いたいことが沢山あった。
何となく興味があるけど、長すぎて読むの億劫だなぁと思った方、良かったらここだけでも読んでやってください!
私みたいに三次元よりも二次元にハマるような人間が、どうしてMAZZELのライブに魅力を感じたのか。
その答えは、MAZZELが今まで私が観てきた数あるアーティストの中でも、稀有なほどやさしかったからである。
かっこいいアーティスト、洗練されたアーティスト、真摯な言葉をつむぐアーティスト、秀逸な技術を誇るアーティスト。
沢山のアーティストを生で観てきて、本当にどのアーティストも好きだと思った。素晴らしいと思った。
とくにサカナクションは、自殺を考えていた私を何とか踏みとどまらせてくれた。
どのアーティストも私にとって尊き存在で、生命線で、そこに甲乙つけるつもりは一切ない。
けれど、MAZZELのみんなから無自覚に漏れるあのやさしさを思うと、自然と涙がこぼれてしまうのである。
どうしてあんな、純然たるやさしさを誰かに手渡すことができるのだろう。どうしてあんなにも、見ているだけで救われたような気持ちになるんだろう。
やさしいって言葉は、シンプルなようで雑然としていて難しい。ことさら安易に使われがちで、私自身も当たり障りなく使ったりする。
でも、彼らのやさしいって、そんな単純なものじゃない。あれは傷を負ったことがある人のやさしさだ。
苦しみや悲しみを身体の芯から感じたことがあって、だからこそ他人にやさしくあろうと思える人たちの、強固な意思にもとづいたやさしさ。
言葉や振る舞い以前に、こちらを見る眼差しが泣きたくなるくらいやさしい。
そして、何よりも私たちに幸福を届けようと、楽しませようと、温かい何かを分け与えようとしてくれている。ライブ中、ずっと私たちのことを思いやってくれているのがわかる。
MAZZELはファンのことをMUZEと呼ぶ。おそらく、ギリシャ神話で詩歌、音楽、学問、芸術などを主る女神の名が語源で、ファッションやアート業界では創造者のインスピレーションの源泉となる女性のことを、ミューズと呼ぶこともある。
MAZZELは「MUZEが居るから僕らも幸せだ」という言葉を、日常的に何遍も口にする。
それはMUZEを活動の源泉として扱ってくれていることの証左であり、彼らは私たちに授けた名前の通りに、嘘偽りなく私たちに接してくれている。
MAZZELとは、幸福を意味する『mazel』に迷路『maze』と情熱『zeal』を掛け合わせた造語。
だからこそ、彼らはその名の通り、ファンが、メンバーが、あるいは自分自身が迷路に迷い込もうとも、情熱をたやさずに、つねに幸福を差し出そうとする。言葉を正しく理解し、言葉を背負うことの重みを知っている。
だから彼らはステージ上で、ファンに対してやさしくあろうとする。彼らはMAZZELであることに誇りを持っているから。
これらは私の主観であり、戯言かもしれない。
でも、言葉を大切にする私にとって、MAZZELの在り方はとても眩く、そして希望に満ちていた。彼らは幸福な祈りそのものだった。
私は色んなものを好きになってしまうたちで、色んなものに目移りしてしまう。漫画もアニメも音楽も好きで、小説も映画も美術も大好き。
それでもMAZZELにはいつでも戻ってきたいな、と思う。あの幸福な場所に、また帰りたいと思える。
とりあえず、彼らの音楽を聴いてほしい。そして、一度ライブ会場に足を運んでみてほしい。彼らが与えてくれる花束のような幸福は、きっと日々を生きるあなたの支えとなる。私はあの日から何遍も、あの幸福な空間を思い出している。
彼らはどんな私たちを置いていかない。
日々の煩雑な生活に追われ、なかなかライブに行けないファンも、時々音楽を聴くだけのライトなファンことも、もちろん毎回ライブに行く熱心なファンも、あるいはまだファンじゃないけれど、このnoteを見て僅かにでも興味を持ってくださったあなたのことも。
私たちは日々の生活で傷を負い、それでもどうにか生きようともがいている。MAZZELはそんな一人一人を絶対に置いていかない。いつも彼らの根元には、きちんと私たちの居場所がある。
とてもやさしくて、かっこよくて、剽軽なところもあって、そしてなによりも高い表現力でひとつのショーを作り上げる、とっても素敵なMAZZELが、私は大好きである。
余談
ここからは余談ですが、BE:FIRSTとMAZZELを生で観て、改めて『名前というのはこうなりたいという祈り』なんだな痛感した。
というのは、やはりBE:FIRSTには〝一番になる〟という言葉にふさわしい強靭さや、厳かさみたいなものをつよく感じた。ライブも音を楽しむことが何よりも肝要で、盛り上がりという点では、フェスで人気を博すバンドのライブに近かったように思う。
対してMAZZELはやはり幸福や情熱に重きをおいていて、柔らかなやさしさと、はっとするような鮮烈さのコントラスト(ギャップ)が印象的だった。どちらかというと、ショー的な意味合いが強く、ミュージカルや舞台のように、魅せることで楽しませる構成だった。
また、ファンネームの違いによるファンへの接し方の違い、も興味深かった。
BESTYはおそらくbest friendのスラングbestieから派生したのだと思うのだけれど、親友という言葉の通り、BE:FIRSTはファンのことを旧知の友人のごとく扱う。
口調も態度も気さくで、肩を組んで笑い合っているような感じ。リリースした作品に対して「もし気に入らないなら、気に入らないってことを教えてほしい」という潔い言葉をライブ中に言うあたりにも、気のおけない友人のような信頼感を互いに抱いているのだな、という印象を受ける。
対するMAZZELはMUZEという名の通り、ファンをグループの核、あるいは自分たちの原初のように捉えている。だからこそ、語りかける口調もとても柔らかいし、愛情深さと僅かな慎み深さのようなものを感じる。部屋で膝を抱えて泣いていたら、その扉をそっとあけて、手をとって外に連れ出してくれるような感じ。あるいは、おとぎ話の魔法使いのような印象を受ける。
名は祈り。それを体現しているBMSGだからこそ、双方のグループのこれからが、今まで以上に楽しみである。そして、第三のグループにどんな願いと祈りが込められるのか。今から待ち遠しい。
最後に
ということで、本当に長々と語ってしまって申し訳ございません!ここまで読んでくださった方には、本当に感謝してもしきれません。まじですごいです。自分でも引くくらい長いもんな。素人のこんな駄作文を最後まで読んでくださる心の広さと、読解力の高さに脱帽。
もしこのnoteを読んでMAZZELのことちょっとでも気になるな〜と思った方(そもそもMAZZELのことをご存知でないのに、このnoteを見てくれた方がいたら、私はもう狂喜乱舞ですが)は、良かったら是非YouTubeのリンクから曲を聴いてみてください。
私のおすすめは『Seaside Story』『MAZQUERADE』『Vivid』『Holiday』です。
私にとって良い音楽の定義は、生活に馴染む音楽なんですけど、MAZZELはボーイズグループにしてはめずらしく、生活に馴染みます(あくまで主観ですが)。
普段サカナクションとか米津玄師とかDiosとかキタニタツヤを聴くような私が、MAZZELを好んで聴くわけなので、似たような趣味の方は一度聴いてみてほしいです。そして、私とMAZZELについて語りましょう!!!!
MAZZELのことが、本当に大好き! 彼らが私たちを愛してくれるように、沢山の愛をMAZZELに返したい。この素敵な音楽が、彼らのやさしさと情熱が、是非沢山の人に届くことを祈っている。
MAZZELはいつでも私の帰る場所。