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深夜の独り言 57
「おとなになる」ということについて考えています。こころを広くもちたい、それがおとなになるということだ、と思うけれど、同時に、すべてを許すことで自分にストレスを溜め込むのもそれはそれで精神衛生上どうかと思います。このバランスをうまく保つことができるようになったら、立派なおとななのでしょうか。
最近、少し苦手な人が増えました。一人じゃなくて数人。前からの知り合いなのに、なぜか、最近突然苦手に思うようになるという経験を立て続けにしています。しかもみんな同じパターン。私の考えすぎなのかもしれませんが、私のことを下に見るような発言が増えるんです。
最近初めてそういうことが起こったわけではなくて、前からそういう人はいました。私がだいたいのことはにこにこしてやり過ごすから、できるだけ低姿勢でコミュニケーションをスタートさせるから、いつも本当の能力値を少し隠して生きていたいと思うから、バカっぽく振る舞うのが得意だから、そういうのをほんの少し知って、あぁこいつは「いじり」をしてもいいやつだ、あるいはこいつは本当にバカなんだと考えるような。最近立て続けにあったというだけです。
自分の実際の能力値より低く見せる、ということは、良い面も悪い面もあります。相手を立てるという意味合いではバッチリ。「ええそんなの私にはできないですよ、すごいなぁ」と謙遜する、これは悪いことではないと思っています。相手にできて私にできないこと、を見つけて褒める。それをお互いにできたら気持ちよく尊敬しあえる。でも、それができない人がいます。私がそういう姿勢をとるせいで、自分は私よりもできることが多いと勝手に思い込んでいる人。ほんとうは、彼にできなくて私にできることだってたくさんあるのに。
尊敬しあえる、というのは、ただ単にすごい人同士でしかできないのかと言ったらそうではないと思います。相手にできて自分にできないことと、自分にできて相手にできないことがあって、それぞれを認め合って、尊敬しあうということです。それができない人はきっと、相手の良いところに目を向ける心の余裕がない人なんだと思います。悲しく思います。
こころを広くもちたい。相手の良いところをできるだけたくさん見つけられる、余裕のある人になりたい。でも、自分の良いところも知っていたいし、自分の良さを見つけてくれない人とは仲良くできない。これは、「おとなになる」という観点で、どうなんでしょうか。
おとなを考える夜に、
深夜の独り言。
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