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明るい歌

 バターのいい香りがする。私はうっすら目を開けて、また閉じる。寝返りを打つと、隣に彼がいないことに気づく。休日の朝の始まり。息をゆっくりと吸う。いい香りがする。

 耳をすませば、油のはねる音に混じって彼の鼻歌が聴こえる。今日は明るい曲だ。私は安心して、息を吸うことに集中する。

 もう一度、幸せな夢に戻ろうとする。

「ひかり、起きた?おはよう」

 気づくと引き戸が開けられていて、辺りは眩しくなっていた。あくびを一つ。目をぱちりと開けると、彼が笑っていた。

「ご飯できてるよ、早く顔洗ってきな」

「ん、おはよう」

 彼と同棲を始めて半年が経つ。ずっと夢見ていたふたりの家で、休日はごろごろして過ごすことが多い。平日は朝早く、夜遅い私のために、彼が朝ごはんをつくってくれる。休日の朝だけでなく、家事はだいぶ負担してもらっている。

 付き合ったばかりのときから彼にはお世話になりっぱなしで、一人暮らしの部屋を片付けるお手伝いをしに来てもらったり、旅行の帰りのパッキングをしてもらったり。彼はそういうとき決まって、けらけらと笑いながら、しょうがないなぁと言った。彼のしょうがないなぁは優しくて、なんだかいい香りがする。

 おおらかな、温かい人だ。頭に乗せられた手は優しくて大きい。

「ありがと」

 小さく呟くと、彼はその大きい手で私の髪の毛をくしゃっとさせてからおでこにキスをした。ほら、と立たされる。

 いつも通りの日。いつも通りの香り。いつも通りの、朝。

 洗面所に立って、ぼんやりと鏡を見る。蛇口をひねる。水に手をかざしたところで、気づく。心臓に一番近い指に、きらりと光るもの。慌ててリビングに走る。

「きょうくん!」

 愛しい彼は、振り返ると両手を大きく広げた。私は勢いのまま飛び込む。心臓がばくばくする。

「気づいた?」

 こくこくと頷く。腕の中で息を吸う。彼が頭を撫でてくれる。彼の心臓も、少し速い気がした。

「ほんとに?」

「ほんとだよ」

「ほんとの、ほんとに?」

「ほんとの、ほんとだよ」

 大きく息を吸って、大好きなひとの、大好きな香りを吸って、私は顔を上げる。目が合う。にっこりと彼が笑った。

「ひかり、俺と結婚してくれる?」

 左手の薬指に、シンプルなダイヤが輝いた。眩しくて視界が滲む。息を吸う。ゆっくりと吐く。目に涙をいっぱいに溜めて私は言う。

「喜んで」

 力強い腕でぎゅっと、抱きしめられる。涙は溢れて、彼の服に染み込む。

「よかった」

 幸せにする、と彼が言う。私も幸せにするよと、力を込める。彼から、世界から、いい香りがする。

 あなたが毎朝明るい曲を歌えるように。私があなたを幸せにするよ。

 たくさんの愛をもらってきた。私はその、何倍もの愛をあげるよ。

 頭を撫でてもらいながら、温もりに包まれて、私は思う。このひとに似合う人間になりたい。人生のパートナーとして、ふさわしい人間になりたい。でも、きっと彼は今のままでいいと言うんだろう。このままがいいと、言ってくれるんだろう。ふっと息を吐いた。

「お腹減った」

 ふふ、と彼が笑う。

「しょうがないなぁ、ご飯にしようね」

 特別な、一日が始まる。

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金とき
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