ダンスホール
女の子は臙脂色の立派なソファに腰掛けていた。ベルベットの深緑色のワンピースを着て、お行儀良く背筋を伸ばしている。この部屋は深い色が多い。壁は深い青、机は焦げ茶色。でも床だけは眩しいくらい磨かれたぴかぴかの白。
アンティークな机には白いキャンディとティーカップが置かれている。すっと透明のような、それでいて奥の方は濁っているような、不思議な白。ティーカップには赤い木の実が描かれ、中にはとろんとしたお湯が並々と注がれている。どこからか、落ち着いた、しっとりとした音楽が聴こえてくる。
音楽はだんだんと大きくなる。それに伴って足音も聴こえる。土を踏みしめてやってくるような、重たい音だった。
カランカラン。扉を開けて入ってきたのはひとりの男。髪の毛は下半分が刈り上げられ、肩にギターケースを背負っている。
「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」
女の子は歌うように言った。重たい空気を押しのけるように、軽やかに、可愛らしい声だった。男は手に持っていたラジオを切る。
「ご相談は何でしょう」
男は女の子の前までやってくると、ギターケースを降ろした。床が綺麗なのを確認してから、大切そうにそっと置いた。
「夢が、あったんです」
下を向いたまま、話し始める。
「でももう、無理かなって。やめたほうがいいって、みんな言うんです」
女の子は黙って、じっと男を見ている。丸い目がくるりと、光る。
「僕なんかには、無理なんでしょうか」
男が顔を上げたとき、その頬は少し濡れていた。ふたりは目を合わせて、しばらく黙っていた。
重たい時間が流れる。深い色に包まれて、ぴかぴかの床だけが明るく光っている。男は女の子の青い目に吸い寄せられるように見つめていた。涙があふれる。
口を開いたのは、女の子。
「何か、聴かせてくださいませんか」
彼女が頬を染めてにこりと笑うと、カランカランと小さく音がして、扉が小さく開いた。何かが動く気配がして、空気が少し、賑やかになる。
男がギターを取り出す間、扉はずっとほんの少しだけ開いていた。再び扉が閉まると男は弾き始める。始めは落ち着いたメロディだった。女の子がゆっくりと瞬きする。
真っ白の床が、少しずつ輝きを増していく。というより、床の上で無数の光が踊っているようだった。男の声は光に合わせてだんだんと大きくなる。
夢を、掴む歌だった。華やかなサビで歌われるのは栄光と誇り。男は涙を流しながら、光に包まれていく。頬を伝う涙が反射してきらきらと輝く。
努力すれば必ず叶うわけじゃない。でも、夢を叶えたひとはみんな精一杯努力してる。やりきるためにはやるしかないんだ。進もう、もう前しか見えないだろう。
泣きながら演奏を終えると、男は、
「自分で書いたけど、いい歌詞ですね」
と笑った。無数の光たちはふわふわと宙を舞っている。
「どなたがやめたほうがいいと言われたのかわかりませんが、ここに相談しに来ている時点で、あなたはやめたくないんですよね」
女の子はきらきらした目で男に笑いかける。
「素敵な演奏でした。ありがとうございます」
男は少しはにかんで、深々と頭を下げた。
男が帰ったあとの床で、光がふわふわ漂う。女の子はそっと、机の上の白いキャンディを掴む。それから腕を伸ばして、机の向こうに落とす。こん、と音がする。ぴったり五秒待って、もう一つ、落とす。また、こん、と鳴る。キャンディは白い床の上を踊るように転がって、扉へと向かう。
カランカラン。扉がほんの一筋開いて、無数の光が出ていく。キャンディはころころとその光の筋を辿る。
「ありがとう」
女の子が小さく呟いた。カランカラン、と扉が閉まったとき、音楽に合わせて踊っていたあの光たちはみんないなくなっていた。
残ったのはよく磨かれた白い床と、厳かな空気を纏う家具たち。女の子はさきほどの音楽を思い出すように、うっとりと目を閉じた。
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