趣味|何故、僕はx100fを不便に使おうとするのか
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というタイトルから始まりましたが、僕が愛用するFUJIFILMのx100f、人によってカメラの使い方は異なるのですが、僕はx100fをなるべく不便に使おうと意識しています。
世の中には様々なカメラが存在していて、各社、あるコンセプトを持って、物作りを行なっているわけですが、FUJIFILMは、完璧を目指さないところに価値を置いているのではないかと、僕は睨んでいるのです。
不便なカメラx-pro3
昨年の11/28に発売されたx-pro3は、背面液晶をあえて隠すという思い切った設計で、カメラユーザーの視線を注目させました。
ファインダーを覗くことと、撮った後の写真を見返すことなく、次のアクションに移って欲しい、そんな「撮ることそれ自体と、その行為を楽しむ」という意図が隠されている設計だと感じます。デジカメ界における、写真を撮るという事そのものに、メスを切った意欲的なカメラであり、スペックだけが先行していくカメラのあり方に疑問を呈した作品でもあるような気がします。
x100fの特徴 ファインダーの違い
話は逸れましたが、僕が使うx100fには、ハイブリットビューファインダーなるものが備わっております。これは、EVFとOVFをレバー一つで変えることの出来る機能です。EVFとは、ファインダー(目を当てて被写体を覗く窓)に、小さい液晶が表示されるもので、OVFは、ファインダーに素通しの今見えている情景が、そのままに映し出されるものを言います。
今、現在、ミラーレスカメラが主流になりつつあり、ファインダーも、当然のごとくEVFが中心です、昔、主流だった一眼レフカメラになりますと、レンズと撮像素子の間にミラーが挟まれており、そのミラーに映った像をペンタプリズムに反射させ、被写体を見るという構造をとっており、これはOVFとなります。
OVFの中にも、一眼レフカメラのようなOVFもあれば、レンジファインダー機のように、素通しで見れるOVFもあります。Leicaなどのレンジファインダーは、一眼レフと少し構造が変わってきます。
OVFとEVFでの撮影の違い
x100fはレンジファインダー式のカメラになりますが、厳密に言えば、レンジファインダーではありません。ピント合わせや、露出計は、OVFでも確認する事が出来ますが、これは、電子式です。素通しで見えつつも、そういった露出やピントに至っては、電子情報で確認する必要にあるのです。
ややこしいですが、EVFは、ファインダーに液晶が付いており、それを覗く事で、撮った写真の出来上がりを、前もって知っておく事ができるのに対し、x100fのOVFは、ファインダーには素通しの情景が描かれているので、その中で、出来上がりの絵を想像しながら、露出やピント合わせを(それも電子式で)する必要にあります。
この不便さは、一度、体感すると、不便以外の何物でもありません。EVFで完成された絵を見ながら、写真を撮った方が、断然、失敗しないからです。露出がどれほどの明るさなのか、ピントはどこに合っているのか、ボケはどれほどか、色味はこれが正しいのか、全て把握出来るからです。現に、この不便な機能を持ったOVFを使用するユーザーは、あまりいないようです。それもそのはず、誰もが、綺麗に簡単に失敗しない写真を撮って、周囲から評価されたい願望が、少なからず存在するからです。
完璧ではないということ
僕がx100fのOVFにこだわるのは、もとい、この不便さを、何故、カメラの扱い方としてスタンダードにさせているかというと、一言で言えば、楽しみたいからです。
楽しみたいのであれば、EVFで手軽に撮れた方が良いでしょう(EVFでも僕は写真を撮ることが下手では有るのですが)、僕は、カメラに対する関わり方に、こだわりを持ちたいのです。天邪鬼と捉えられれば、それはそうだとしか言えませんが、例えば、完璧に写真を撮りたいのであれば、僕はソニーのカメラを選ぶでしょう。手振れ補正や、フルサイズという圧倒感、4000万画素を誇るセンサー、どれもが、写真を撮る上で最高の相棒になる事は間違いないと思います。
x-pro3の事を冒頭にお話しましたが、FUJIFILMは、懐古主義と、最先端の間で言えば、懐古主義の方に軸があるのではないかと思います。カメラそのものの在り方について、必死に物作りをされているイメージ。僕が、FUJIFILMのカメラを選んだのは、その企業姿勢です。単純にかっこいいじゃないですか、カメラの在り方そのものを追求する姿勢、きっと、それだけを言えば、Leicaは、それを超えた次元に存在しているのかもしれませんが、僕が手の届く範囲で、それを形として表してくれるのは、FUJIFILMだと感じています。
x100fを不便に扱う理由
話が逸れましたが、僕がこのカメラを不便に扱う理由は、
「出来上がりの絵を想像する事における、行為そのものへの楽しさ」
が挙げられます。
出来上がりを想像する中で、撮った写真と、出来上がった状態を映した写真とでは、映る写真への変化があります。これは、思考するか、思考しないかの二極と捉えると語弊を招きますが、その出来上がるまでの過程が違うのです。
撮る前にイメージする事と、それが写真として具現化した際に、自分の思い描いた写真かどうかを確認する、そのプロセスを一々、感じることが楽しいのです。
僕は、撮った後はプレビューせずに、自宅に持ち帰ったり、休憩した際に撮れた写真を確認するようにしています、これも、精神的なアプローチに繋がるのですが、やはり、撮る事とその過程それ自体に、カメラで写真を撮るということの醍醐味があるのだと思います。これは、EVFよりかは、感じやすい体験であると感じています。
不便を楽しむことの最終地点
不便を楽しむ中で得られることは、便利を消化していく中で得られることよりも、僕は多いと思っています、試行錯誤しながら、自分のやり方で、たくさんの失敗をし、人がどう思うかなどと気にせず、ハートの数もどこかに置いて、純粋にカメラで写真を撮るということの楽しさを、追求していけたらと思います。
本当は、もっと上手くなりたいし、人から賞賛されるような写真も撮ってみたいというのは、人間ですもの、当然、僕の心にはあります、それは結果であって、目的にはならないように、写真を楽しみたいです引きこもりだけど
長々と書いてきましたが、これでx100fユーザーに、OVF利用者が増えることを願いつつ、終わりにしたいと思います、よかったらコメントなり反論なりお願い致します、それでは、田舎者でした。
いわゆる、駄文