過去の記憶は正しいのか?
先週ライラックの香りを求めて札幌に行った話の続きです。
面白いなあというか
とっても不思議と思うことがありました。
ライラックはほぼ終わってたのですが
※終わってたのはフレンチライラック。ブリストン種は今から。
咲いている花を見つけては鼻を思い切り近づけて香りを嗅ぎます。するとふわあと良い香りがします。ですが、花に近づいたからといって香りが強くするということはありません。むしろ少し離れた時ふんわり花の香りがしてきます。
ニセアカシアも同じ。樹木の背が高いからなかなか花そのものに鼻を近づけるのは困難ですが、低いところの花に顔を近づけると香りがします。でも樹木の下まで行ってできるだけ花に近づくのですが、するとふっと花の香りが途絶えます。むしろ少し離れたところの方が風に乗って香りがしてくる。
この体験をお香の先生に話したところ、
遠いところの虫に自分の存在を知らせるため香りを遠く飛ばすものもいるそうで。
だから季節が来るとどこからともなく姿はないのに花の香りがしてくるのはそのためなんでしょうね。
「お香も同じですね」という話になりました。
焚いているお香そのものより、そこから少し離れたところなどに移動した時ふわあっと仄かにお香の香りがします。
仄か(ほのか)とはわずかにそれと認められるさま。微か、量や程度が微かな様のことを表す言葉。風情ある奥ゆかしさを感じる言葉です。
花の香りもお香の香りも、近づけば近づくほど香りが強くするものだとてっきり思ってました。少し無粋な望みだったかも。
この遠くにも届く仄かな香りは虫を誘い受粉を促す。全て子孫を残すという植物の営みの叡智。勝手に文句言って失礼しました!って感じw
実は昔々札幌に住んでいたことがあり、この時期とても良い香りがする公園があったことを覚えていて、あの香りの元はなんの木だったのか…。それを知りたくてその公園に行ったのですが、香りの元になるような種類の木はありませんでした。
もうそこで?????なんで?ってなったのですが、
この公園の周りに香りの良い木があったのかもしれません。それがその時期ふんわりとそこで香った。どうやらそのような結論に達しました。
「ああこの木の花の香りだったんだ!!」なーんてちょいと感動的な再会を楽しみにしてたのですが、記憶なんてそんなもの。自分に都合良いように思い込んでいるもの。
16歳の頃の私が通学て使ってた場所。
すごく素晴らしく良い香りがする木があって素敵なところ。
年数を経ると共に勝手に素晴らしい妄想は膨らみますw
「過去は正しくない」
「全ては思い込み」
良くも悪くも刷り込んでいるものですね。
私たちは思い込みの中に生きている
それを体験した旅でもありました。
事実を知れてよかった。
色々動いてみると面白いものです。
いつも最後までお読みくださってありがとうございます。
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