
ワールドトリガー28巻感想。
ワールドトリガー28巻はビジネス本、自己啓発的な匂いがしましたが、あれでやられてしまった人は反省すべきで、長く読まれ続けている一部の本を除いて、大抵ああいうものは物事を意図的に単純化して、読者に一発かますことを目的にしていることが多いです。
そういう意味でヒュースはそこに自覚的であるどころか、相手にショックを受けるかもしれませんが良いですか?と、チェックボックスにチェックを入れないと先のページに進めない的な手続きを踏んでいるところに良心というか義理堅さ(作中では律儀と言われてましたね)を感じました。ちなみに、葦先も、単純化しているように見えて、超律儀に丁寧に描いています。長生きしてくれ。
最も単純化されているところは、実力=結果というところだと私は思っていて、本当はもっと結果という概念について掘り下げる必要があること、結果と実力の間には評価とか解釈といったプロセスが存在していることが、意図的に会話の中では省略されていると思いました。そして、これは最後に出てくる努力についても通じます。
この単純化によって、そこが省略されているのか、描かれていないのかというと決してそうではなくて、そこがバカ丁寧だなと感じました。
まず、犬飼とヒュースの会話の中で、犬飼は、若村が今までとは異なる行動をした、変化を感じたことをヒュースに伝えています。これは、若村の中では特段、意識したわけではないのですが、今までと異なる環境でチームを率いるという事情が作用したわけですが、ワートリ的に言えば、余裕がない状況になったわけですよね。でも、この変化というのは、今までだと読者にしか伝わってなくて、物語の中で大きな意味を持ちませんでしたが、その変化に気づき、評価する観察者がいるということを明示することで、若村の自意識と犬飼の評価、そしてそれと同時に、読者の若村への評価も変化させるという意図をもった、丁寧な演出だと思いました。
別のキャラクターでも、こうした評価、観察者的なことについて、今度は若村側の立場、いうなれば、評価される側から描いているコマが28巻に存在します。それが別役の「おれに期待してくれている人たちに申し訳ないんで...」と鼻水垂らすコマです。これは別役が、自惚れという自分で自分を評価するだけ、という状況から脱し、他人の期待、評価と自分自身による評価とのギャップを受け止め、他者の重さを引き受けるコマとして捉えることができます。
若村が28巻ではどこまでいっても、他人の目よりも、自分の目にビビっているのとは対照的ですね。
ワートリ28巻読んで「ウッ......」ってなった人は、だいたい社会の中の歯車の方々でしょうが(そしてそれが総量的にも多いわけですが)、自分で自分のことを過小評価するのは別に良いのですが、そんな中でも、もしかすると超有能な誰かがあなたの中にある小さな変化に気づき、それを見守り、あるいは後押ししてくれるかもしれませんし、逆に言えば、もしも、あなたが誰かを指導するような立場にいるのであれば、その相手の小さな変化にも気づき、その人が変化を自覚できていないのであれば、変わっていることを伝えること、だから、できないかもしれないという懸念は杞憂だということを伝えなくてはいけないかもしれませんね。そして、それと同時に、これは自他ともにですが、適した問題を設定して、それをクリアすることができるようにしなくてはいけない。
が、これは難しくて、期限や環境によって、物凄いスピードで成長する可能性もあるので何とも言えないですね。いやあ、やっぱり、閉鎖空間で社会をやるってしんどいなあ。ひとりが気楽だわ、というのがワールドトリガー28巻の感想です。
では、ごきげんよう。