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牛乳を飲む男

人はなぜ牛乳を飲むのだろうか。

「だって、うまいから」と言われればそれまでだ。ことによっては「飲むに決まっているだろう!牛乳だぞ」という態度もあるだろう。しかし私は牛乳を飲むという行為に、如何ともしがたい「違和感」を感じているのである。

ちょっと冷静になって考えてみて欲しい。牛乳とは読んで字の如く「牛」の「乳」である。当たり前のことだが「乳」はさしたる理由もなく出るようなものではない。母牛は子を育てるために「牛乳」を出しているのだ。だから、これを「子牛」が飲むのはスジが通る。それが自然というものだ。では「人間」が牛乳を飲むというのはどうだ。

「牛のお乳を飲む人間」

これは、どういうことだろうか。異常な事態と言えるのではないだろうか。母牛の気持ちにもなってみろと言いたい。「あんたに飲ませるために出したお乳じゃないよ!」「この、乳泥棒!」と怒られたとしても無理はない蛮行に思えるのである。

このように「牛乳を飲むことの違和感」を得てからというもの、私は自らすすんで牛乳を飲むようなことは避けて生きてきた。しかし、恐ろしいことに世の中にはいるのである。「牛乳を飲む男」が。

職場の同僚である。30がらみで妻帯者の男が昼休みをとるために席を立った。その彼の手には、なんとパックの「牛乳」が握られている。嫌な予感がした。するとやはり、彼はその牛乳を私に見せながら嬉々として言うのである。

「たくさん牛乳をもらったんですよ。もしよかったら、ヤマシタさんも、いかがですか? 僕は朝も飲みました。これで2本目ですよ」

三十路を過ぎた大のオトナが、朝から「牛のお乳」をごくごくと飲み、1本で飽き足らず、昼にも飲もうとしている。こんなに恐ろしい状況があるだろうか。しかも、それを爽やかな笑顔でやってのけるというのだから、もう驚くしかない。

とはいえ、長年の暮らしで身についた習慣というものは疑うことすら難しいという側面がある。いちいち気にする私の方こそどうかしているのかも知れない。

私は慄きながらも「よしとくよ」と、やんわり断った。


きょうもお読みいただきまして、
ありがとうございます。

それでは、また明日。

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