部屋とスウェットとわたし
人を落ち着かない気分にさせる服というものがある。
代表的なものでは、ウールのセーターのちくちく。古いジャージのざらざら。ヌルッとしたトレーナーの裏地。絹のツルッと滑る感。ヒートテックを脱ぐ時の静電気。
更にいうなら、タートルネックのあご。サルエルパンツの股。濡れたジーパンが張り付くふくらはぎ。など。
肌に密着できるのをいいことに、やつらはやりたい放題なのである。あんな感触でこられたら、落ち着けるわけがないではないか。
それはまるで、間違えて入った教室で、そのまま授業が始まってしまったかのような「居心地の悪さ」であり、カラオケで歌っている最中に隣の人が勝手にハモリだして、しかも超絶に美声だったときの「いたたまれなさ」であり、せっかく飲み会に参加したのに自分以外は全員ノンアルコールだったときの「やるせなさ」に似ている。
その点、コットンは偉い。どんなときでも、どんな形状でも安定したパフォーマンスを見せてくれる。付かず離れず、程よく心地よい肌触り。通気性もいい。コットンこそ、真の友となるべき繊維であると確信していた。
しかし。私は人生ではじめてコットンに腹を立てた。
トレーナーである。サイズもぴったりで着心地良くシルエットも良いので、お気に入りであったトレーナーを、先日はじめて、洗濯機で洗い、乾燥機にかけたのだ。
で、さあ乾いたぞと首を通すと、きつい。
縮んだのである。繊維が収縮して、すごく締め付けである。大魔神の手のひらで握りつぶされる気分はおそらくこのようなものだろう。肘のあたりなど「もこもこ」としてミシュランタイヤのマスコットのような有様である。
これから私は、いったい何を着て生きていけばいいのだろう。
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それでは、また明日。