留守電のピーの裏側に迫る
「ただいま、電話にでることが、できません。 ピー、という、発信音のあとで、お名前と、ご用件を、お話しください、ピー」
留守電の発信音といえば全国津々浦々、例外なく「ピー」である。どこかの地域に「ポー」や「ぺー」があってもいいと思うのだが、断固として彼らは「ピー」を貫いている。この頑なな態度の裏には、どうしても「ピー」でなくてはならなかった理由があるように思えてならない。
ということで、検証してみよう。
まずは「ポー」だ。
「ただいま、電話にでることが、できません。 ポー、という、発信音のあとで、お名前と、ご用件を、お話しください、ポー」
……だめだ。リコーダーの低い音を想像してもらうとわかりやすいが、これではどうも間が抜けすぎている。声を吹き込み、何かを伝えようという気力が根こそぎ削がれてしまう。かと言って、緊張感を持って「ポゥッ!」と言えばいいのかというと、それも違う。どうやら「ポ」が持つ宿命的な間抜け感が問題であるらしい。
では「ペー」はどうか。
ここには新たな問題が発生する。人の声の「ペー」と機械音の「ペー」ではニュアンスに大きな差があるのだ。そもそも機械音の「ペー」とはいかなるものだろうか。「ピー」や「ポー」なら、なんとなく判別がつく。「ピー」は高音域、「ポー」低音域だろう。しかし「ぺー」はどうだ。想像ができない。以上の事実から「ペー」は現実的ではないことがわかる。「プー」については問題が明白なので省略したい。
さて、次の問題だ。
「ピー」の丸投げ。
当たり前だが、アナウンスは人の声で読まれる。しかし、最後の合図の「ピー」だけは機械に委ねることになっている。つつがなくアナウンスを終え、あとは合図を送るのみ、という段階で声の主はなぜか突如として機械に丸投げするのだ。どうして最後に「ピー」と言ってくれないのか。
むろん「ピー」を言うのにテクニカル的な障壁があるわけではない。これは「尊厳の問題」なのだ。事情を理解するには身をもって体験することが一番であるから、ぜひ試してみて欲しい。誰もいない部屋でひとり虚空に向かって言うのだ。
「ピー」
どうだろう。恐ろしい虚無感に包まれはしないだろうか。そこには大のオトナが虚空に向かって「ピー」と言うことの「だめさ」が漂っているように思う。声の主は誇りを守るためにやむなく機械に合図を任せているのだろう。
「ピー」の裏側にある言葉
「ピー」という発信音で、思い起こすものに放送禁止用語がある。なにか「その場にそぐわない言葉」または「危険な言葉」を隠すために「ピー」で塗りつぶした、という線はどうだろうか。
「ただいま、電話にでることが、できません。 バルス、という、呪文のあとで、お名前と、ご用件を、お話しください、バルス」
確かに危険だ。用件を吹き込みたいだけなのに、自宅崩壊のリスクを負わなければならない。そんな留守電はごめんである。
では、これはどうか。
「ただいま、電話にでることが、できません。 よし!のあとで、お名前と、ご用件を、お話しください、、、よし!」
犬か。発信者を問答無用に犬あつかいするとは、失礼にもほどがある。却下だ。かといって「さあ、どうぞ」といわれても緊張するし、「今だ」や「来い」などと言われても困惑するだろう。
ならば、いっそのこと発信音と同じく意味を持たない「記号的な言葉」ならいいのではないか。
「ただいま、電話にでることが、できません。 フンガボイリ・ハニホイゾ、という言葉のあとで、お名前と、ご用件を、お話しください、フンガボイリ・ハニホイゾ」
もちろん、だめだ。
やはり留守電の発信音は、機械音の「ピー」以外には考えられない。