日付は変わっているけど、8/29 今日から毎日遺書を書くことにする。 遺書を書くって日本語、気持ち悪いな。 なんで遺書を残すか、 それはいつ死ぬかわからないから。 幼い頃から「生きる」という行為が苦手だった。 雷を怖がることもできなかった。 だって「生きようとしてる」って他人から思われたくなかったから。 ときどき、自分の生活を良くしようと思ってる自分が嫌になる。 気を抜いたら、楽しく生きようとしている。 自分一人のときくらい、悲壮感に溢れていて欲しいものだ。 今日は昨日
やる気と情熱を敢えて過去に忘れてきました。 誰かと話したいけど、誰かに話すようなことではないことを話すためのスペース。だ。 はるか昔、わたしが中高生のころは、「自己啓発」の全盛期だったと思う。 わたしが、ではなく、世間的に。 SNSは今よりも小規模で、ブログのほうが栄えていた(と思う)。 現代の息継ぎする間もなく流れていくTLはまさに会話であり、相手ありきの文字列でしかない。家に居るのに他者に囲まれている感覚、これは大学生になる頃には常態化していた。 ブログは何が