2022年にアメリカで気づいたこと
気がつけば、前にnoteを更新してから1年半以上もたってしまいました。1年半を振り返ると色々なことがあったのですが、具体的な話をすると話が長くなってしまうので、今回は2022年に気づいたしょーもないことについて書こうと思います。
ひとはなぜコーヒーを持ったまま歩くのか。
冬になればホットコーヒーの紙カップを。夏になればアイスコーヒーのカップを右手に持ちながら、なぜひとは歩くのか。水戸黄門の印籠ばりにこれみよがしにカップを見せつけながら歩く都会のオフィスワーカーは何を思うのか、いつも不思議で仕方ありませんでした。アメリカ発祥のカフェチェーンが日本にも浸透したからなのか、アメリカドラマの見過ぎでニューヨーカーがカップ片手に通勤するシーンに憧れてなのか。タイプの人が目の前に現れたらすかさずこぼして出会いのきっかけをつかむためなのか。アメリカ企業得意のマーケティングで「カップ片手に通勤=かっこいいジブン」が擦り付けられたからなのか。カップ片手に闊歩の人を見るたびに、この文化は何がもたらしたのだろうと不思議に感じていました。
そんな中、今年アメリカ・サンフランシスコに行く機会があり、朝食難民になった私はふとGoogle Mapでも評価が高いトルティーヤ屋さんに入りました。店はサブウェイのように、中に巻く具をカスタムできる仕様で肉の種類や野菜などを注文し最後にレジでセットドリンクの注文をしました。朝なのでコーヒーをトールサイズで注文すると、とてつもない大きさのトルティーヤとコーヒーが出てきました。チーズもたっぷりなそのトルティーヤは正直夜ご飯にゆっくりビールと一緒に楽しみたい類のそれで、サイズ感でいうとつい最近日本のケーキ屋さんなどでも売られていたシュトーレンを一回り大きくしたくらいのサイズで、食べ始めた後、半分以上を胃袋に収め完食できるなと思った自分は朝から何をしているんだという気持ちになりました。完食まで多少時間もかかり、早く店を出て次の目的地に向かおう、でもやがて訪れるであろう眠気を抑えるためにもコーヒー飲んでおこうとコーヒーカップを持ち上げました。そこでわかったことが、「これは飲み切らない」ということでした。トールサイズを頼んだはずが、アメリカのトールサイズは日本のコンビニコーヒーでいうメガサイズスペシャル。メガサイズよりもひと回り大きく、人によっては3日分の量り売りレベルの量でした。荷物になるけど、この量捨てるのもったいないし持って帰るかと、カップ右手に店を出ました。
街はサンフランシスコ。名だたるTech企業の本社がある街中で、私はコーヒーカップを片手に「いつか自分もアメリカに拠点を」と心震わせる前に気付いたのです。これがコーヒーカップ片手に街を歩く起源かと。おそらくアメリカ発のこの文化は飲み切ることのできない量のコーヒーを致し方なく持ち帰ることから始まった文化なのではないかということに。トルティーヤの大きさには驚きましたが、割と食が太い私は食べ切ることができました。ただ、この量のドリンクを一度に収容できるほどの膀胱はアメリカ人といえども持ってないだろうと考えると、サンフランシスコで道行くひとが持つあのカップには店舗で飲み切ることのできなかったコーヒーが入っていると思うと合点がいったのです。
根拠はないので、信じるかどうかはあなた次第ですが、現地の本場で本当にそうかもしれない文化の起源を垣間見ることは大きな発見でした。この発見による喜びや面白さは、事業づくりにも通じるところがありまして、まだ言語化されていない顕在化しかかってる何かを掴み、そこを深堀りことにより、まだ世の中に生まれていない何かに輪郭を宿すことは一つの私のやりがいにもなっていますし、パンフォーユーで働くうえでの楽しさの一つではないでしょうか。
無理矢理な締めくくりと共に、最後は会社の宣伝になりますが、カップ片手文化の起源を探るようにあらゆる角度からお客様や取引先などのインサイトを紐解き、探求とグロースを共にするメンバーを募集してるのでご興味あればご覧ください。
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それではよいお年を。
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