エバーグリーン。
「う〜〜〜ん。」
俺は一人部室で唸っていた。
大学生になり、憧れだったバンドサークルに入部。
俺は花形のボーカル志望だったのだが、仲良くなった同級生の方が顔も良いし歌も上手いので断念。
結局やったこともないドラムを担当することになったのだが。
いかんせん初心者で基本のビートも刻めないのでなかなか上達しない。
「これがこうで…ん?これ手どうなってんの?」
講義の空きコマを使って練習を続けているが、この調子では来月の定期ライブに間に合う気がしない。
「やっほー。あれ、一人しかいない。」
すると、1人の先輩が部室にやってきた。
楽器の数や場所に限りがあるので、当たり前だが先輩が来た時は後輩が譲ったりしている。
「あ、こんにちは。俺、1回生の○○って言います。よろしくお願いします。」
「あ、新入生くんか。よろしくね〜。」
その先輩はソファに荷物を置くと、携帯に充電器を差している。
「理子先輩ですよね?俺もドラム担当なんすけど、初心者なんすよ。」
部室にやってきたのは一年先輩の遠藤理子先輩。
赤ちゃんのような容姿と、おっとりとした性格で親しみやすく、後輩からも「理子先輩」と呼ばれている。
というか俺も初対面なのに勝手に呼んでしまった。
「そうなんだー、りーも大学からドラム始めたんだけど、意外と何とかなるよ!」
「え?マジっすか!?」
幾つかバンドがあるが、新歓ライブでは理子先輩のバンドが一番盛り上がっていた。
そしてこの理子先輩はその見た目とは裏腹に、力強いドラムの音でライブハウスを熱狂させていた。
その時はドラムをやるなんて夢にも思っていなかったが、今となっては憧れている先輩の一人だ。
「…って、すみません先輩がいるのに。すぐ退きます!」
「あ!気にしないでいいよ!練習続けて続けて!」
そう言うと理子先輩はルーズリーフに何かを書き始めた。
遠くからでは分からないが、おそらく何かの講義の課題だろうか。
正直、集中している先輩の真後ろでドラムを叩きたくないが、気にしないで。と言われたので遠慮なくスティックを握り直す。
「う〜〜〜〜ん。」
そして30分ぐらい練習を続けるも、いつも同じところで詰まってしまう。
理子先輩はと言うと、お菓子を食べながら携帯を触っていた。
「あ、あの〜理子先輩…」
「んー?どしたのー?」
「ちょっとここが難しいので教えていただけないでしょうか…」
俺は憧れの先輩に勇気を出してお願いをした。
「いいよー、どれどれ?」
立ち上がった理子先輩は、俺の想像より遥かに小さくて、細かった。
……さっきも見たろ歩いてるの。
「え〜初心者なのにこんな難しい曲やるの!?」
譜面台にセットしていた携帯を見て、理子先輩が驚きの声を上げる。
あ、てか理子先輩めっちゃいい匂いする……。
「ちょっとやってみていい?」
「あ、はい。」
原曲を再生する。
すると、理子先輩は見事なスティック捌きで完璧に演奏してみせた。
「おぉ〜カッコイイ…」
俺は思わず拍手をする。
「えへへ、こんなもんかなー。いっぱい間違えちゃったけど。」
「すげー!理子先輩さすがっす!」
「も〜やめてよ〜。」
理子先輩は照れたように両手で顔を隠す。
「○○くんは初心者って言ってたけどどこまでできる感じ?」
「どこまで…と言いますと…?」
「あ、じゃあ8ビートは?」
「えいとびーと?」
「え、8ビートも知らずにこんな難しい曲練習してたの!?」
理子先輩はまた、驚きの声を上げる。
「……○○くん、りーと特訓ね」
「ほぇ?」
「だから!○○くんはりーと特訓するの!わかった?」
「は、はい!!!」
その日から、理子先輩とのマンツーマン指導が始まった。
人に教えることは初めてだと言っていたが、確かにたまに何を言っているか分からないときがある。
それでも、手取り足取り一生懸命に伝えようとしてくれるので、俺も頑張って読み取ろうと努力した。
が、とにかく覚えが悪い俺は理子先輩からのカミナリを受けることもしばしば。
「ちがうー!ここはこう!」
「すんません!」
普段はおっとりしており、柔らかい雰囲気で話しやすい先輩なのだが、特訓中は人が変わったように厳しくなる。
まぁ、怒り慣れていない感じが出ていて、それはそれで可愛らしいのだが。
そんなこんなで二週間ほど理子先輩からレクチャーを受け、なんとか人様に見せられるレベルまで上達した俺は、バンドメンバーと初めての音合わせをすることに。
すると。
「どうしたんだよ○○。いきなり上手くなりすぎじゃね?」
メンバーからお褒めの言葉を浴びる。
「いや〜、実は理子先輩から指導してもらって。」
「理子先輩って、マジ?どんな手使ったんだよ。」
「いや、普通に部室で練習してたら、その流れでみたいな?」
「マジかよ羨ましいな。てか、理子先輩可愛いし話しやすいし最高じゃね。」
確かに理子先輩は可愛いし優しい。
だがそれだけじゃなく、この数週間で理子先輩がどれほど努力を重ねているのかを嫌という程実感した。
更に、練習の合間に課題をやっていたりするし、講義をサボったりする事は一度もなかった。
「まぁ、そうだけどあの人本当にカッコイイぞ。」
「お、なんだよ○○。もしかして理子先輩に惚れたんか?」
「んだよー、何でもかんでもそっちに繋げんなっての。」
「わりわり、んじゃ、もう一回アタマからやるか!」
その日の音合わせは順調に過ぎていった。
そして、変わらず俺は理子先輩から指導を受けていたのだが。
理子先輩の足元にも及ばないとはいえ、いつまでこの関係が続けていられるのかが急に不安になってしまった。
もちろん、ドラムは上手くなりたい。
だが、自分が上達することによって理子先輩との時間が消えてしまうのではないかと。
この少しの期間で、いつしか尊敬の気持ちがもっと別の感情へと変わっていった。
たった数週間と思うだろう。
この感情になる時間なんて、それだけで充分だ。
今、この俺が証明する。
「よし、じゃあ今日の練習は終わりね。」
「はい、今日もありがとうございました。」
片付けと戸締まりをしながら、2人は帰り支度をする。
毎日こんな時間まで練習しているのは2人だけだ。
「あの、理子先輩…」
「んー?」
「いや、あの…俺、頑張ります!」
この気持ちはどこかにしまっておこう。
伝えきるには、まだ想いが軽すぎる。
「理子先輩、腹減ったんでご飯連れてってくださいよー。」
「も〜しょうがないな〜。」
俺は、まだ何もこの人のことを知らない。
好きな食べ物も、好きな映画も、ドラマも。
誕生日だって。
この人の全てを知りたい。
そんな強情で自分勝手な我儘。
出会う前に見た景色と、これまで抱いてきた感情を捕まえたいと。
そう思った時、子供みたいなこの我儘の名前を思い出した。
「理子先輩は…」
「ん?なになに?」
「あ、いえ、普段何してんすか。」
「ん〜なんだろ、犬と遊んでるかなー。」
「あ、犬飼ってんですね。」
「……。」
「……。」
会話がヘタクソ過ぎる。
こういう時は、後輩である俺が気の利いた事を…。
「ごめんね。」
「はい?」
「りー何も面白い話出来なくて。退屈だよね。」
「いや、そんなことな…」
『あれ?理子ちゃん?』
「あ!璃花ちゃん!」
大学から歩いている途中、理子先輩と同じバンドでボーカルを務めている石森先輩と会った。
「ん?おお?理子ちゃん彼氏いたんだ。」
「ち、違うよ!ただの後輩!」
「あ、石森先輩初めまして。俺、1回の○○って言います。理子先輩にはドラム教えて貰ってて…」
「うんよろしくねー。てかてか、理子ちゃんが後輩くんに懐かれるの珍しくない?」
「確かに今までも歳上扱いされたことないかも…。」
「ねね、○○くんはそこんとこどうなの?」
「ほぇ?」
先輩二人のトークをボーッと聞いていると、いきなり石森先輩からのパスが来た。
「理子ちゃんのこと、ちゃんと歳上って思ってる?」
「もちろん。そりゃあ、子供っぽいなぁって思う時もありますけど、色んなことに一生懸命に努力してますし。俺は一人の人間として尊敬してますよ。」
「……ふーん。」
石森先輩は少し不敵な笑みを浮かべる。
「理子ちゃん、この子のこと大事にしてあげてね。じゃ!私は今からバイトだから!」
璃花先輩は手を振りながら立ち去ろうとするが、俺に耳打ちをしてきた。
「…理子ちゃんは手強いよ~」
「え?」
「じゃね〜2人とも、また明日ー!」
まるで辻斬りのように去っていった石森先輩。
「…とりあえず、行こっか。」
「……そですね。」
お互いの時間を気まずい沈黙が支配する。
再び歩き出した後、一生懸命に面白い話題を頭の中のポケットから探し当てていると、理子先輩が口を開く。
「ありがとね。」
「え?」
「りー、後輩とちゃんとお話したことなかったから、いっぱい厳しくしちゃったかもなのに、りーのことちゃんと見ててくれて。」
「いや、そんなこと。むしろ感謝したいのはこっちの方ですよ。毎日遅くまでありがとうございます。」
「えへへ、じゃあ明日からもっと厳しくしちゃおっかな♪」
「え!?なんで!?」
「嬉しかったから!」
「…望むところです。絶対理子先輩より上手くなってやる!」
「ふふっ、それはどうかなー?じゃあ、今日は奢ったげるから明日からまたビシバシ行くよ〜!」
「よっしゃ〜!」
青春は、青春とも気づかないことがほとんどだ。
何かに打ち込んだり、恋したり、涙したり。
それは、大切な人を大切に思う気持ちだってそうだ。
そう思うと、幾つになっても、どんな時だって、"今"を全力で生きている人間という生き物は。
一生、青春を過ごしているのかもしれない。
「じゃあ、あそこのラーメン屋さんまで競走ね!りーより遅かったら奢るの無し!よーいドン!」
「あ!ちょ!ズルい!待て!」
たとえ、これから先。
忙しなく過ごす日々に追われて、人の優しさが冷たく感じたとしても。
理子先輩がくれたこの温もりは。
いつか、温かい涙となって返ってくるだろう。
その時、隣に居なくても。
独りだったとしても。
透明な心の中で、色褪せることなく育ち続けて行く。
俺が通り過ぎる、この"青春"のように。