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進化するって本当に良いものなのだろうか?

本当に良い社会って何だろう?

私はよく、そのようなことを考える。

少なくとも、今の社会ではないだろう。
なぜそう思うかは簡単な話で、多くの人がそう思っていないからだ。

じゃあどういう社会が理想的か?
そんなことを考えていると、ある疑問が湧いてきた。

もし理想の社会が実現できたとして、
その社会が一生続くことはありえるのだろうか?

生活の変化

今の社会は、非常に変化の激しい時代だと言われている。
テクノロジーの変化により、私たちが一日に処理する情報量は江戸時代の1年分に匹敵するとかなんとか。

過去を振り返れば、生活のアップデートも著しい。

白熱電球がエジソンの手によってもたらされたのが1879年。
それ以前の人類は、火によって明かりを灯していた。
そこからまだ150年もたっていない。

初めて人類が空を飛んだのは1903年。
ライト兄弟によって実現した有人動力飛行は100年ちょっと前ということになる。

初めて人工的に氷を作れるようになったのが1834年。アメリカのケルビネーター社によって家庭用冷蔵庫が開発されたのが1918年。生ものを含めた食材が冷凍保存できるようになったのはこの発明以降からだ。

家庭用PCに至っては、初めて日本市場に出回ったのが1970年後半。
まだ50年もたっていないことになる。

携帯電話はさらに後。1985年に初めて一般向けに販売されている。

新しい製品、そのクオリティ、普及率。
年々変化する私たちの生活は、今や「ボタン一つで次の日にほしいものが届く」というところまできてしまった。


変化のある社会

便利になる生活。
進化し続ける社会。

「今の社会は、これまでの社会で一番良い時代である。」そう高々と笑いたいものだが、実際のところどうだろう?

「今までのどの時代よりも、今が一番良い」
自信をもってそう言えるだろうか?

もちろん、過去は体験できないため感覚的な話しかできない。ただ、変化し続ける社会を必ずしも「正」とするのもどうなんだろう、とも思う。

なぜなら、本当に今が幸せなら変化する必要なんてないからだ。


時代を振り返ると、変化のない期間が長かった時代がある。
よくよく考えてみれば、そのような時代の方が安定していて幸せであるようには思えないか。

現代社会は、夢を描き、未来を描き、チャレンジし続けることが素晴らしいとされているだろう。だけど逆に「夢を描かずとも、チャレンジせずとも今が幸せである」目指すべき社会はそっちにもあるのではないだろうか。


新しい社会の実現

議論をするとき、私たちは二項対立で考えてしまうクセがある。

AかBか。YESかNOか。

だけど、極端な偏りは行き過ぎると必ず無理が生じる。
だから僕たちはAとBを考えるとき、どちらも取り入れたCの意見を考えるのが良い。
これは、哲学書で読んだ内容だ。

現代社会は、変化することを望む。
だから、人々は必死にしがみつくように安定を求める。

逆に安定を手に入れたものは、新しい変化を望むようになる。

私たちが楽しく、心地よく生きていくためにはどちらも必要であることを知るべきではないだろうか。

資本主義という変化を推奨する大きな社会の中に、変わらない毎日が遅れる変化のない社会。そんな社会を作り出すことが必要であると思う。

それは簡単に言えば「争いから降りる」ということ。
社会主義的な、平等に資源が分配される社会を作るということ。

「変化のない社会に変化させる」には多くの時間が必要かもしれないが、少しずつでもいい。変化のない社会の必要性に回りが気づき始めたとき、大きな社会の上に小さな社会が生まれ出す。

そんな社会の実現を、小さく望んでいる。


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