発信者が増え続けるとどうなるか
YouTube、note、wordpress。
SHOWROOM、インスタグラム。
様々な形で個人を発信できる媒体が増え続ける中、私たちの欲求や価値観も変わりつつある。
一昔前までは、アイドルと言えば「手に届かない選ばれし人」というようなイメージがあった。狭き門をくぐり抜けた一部の人が、芸能界で生き残りテレビに出演。
その王道ルートで勝ち残った一部の人が「アイドル」だった時代では、「一部の選ばれし人と大多数のファン」という構造が成り立っていたように思える。
今はどうだろうか。
「会いに行けるアイドル」のAKBが台頭してきたあたりから、だんだんとアイドルの存在が身近なものになっていっていった。
また、様々な発信ツールが発達し、事務所を介さずとも世の中に向けて自分を表現できるようになった。昔のような高きハードルがなくなった今、世の中に発信者が溢れるようになっている。
誰もが夢を追えるようになった、ハードルが下がったという面では、非常に生きやすい世の中かもしれない。
ただ忘れてはいけないのは、発信者は受信者がいてこそ意味をなすということだ。
発信者が増えれば増えるほど、受信者の取り合いは免れない。発信者が増えても、受信者のπは変わらないからだ。寧ろ、自分を発信することに手いっぱいの人が増え、受信者が減っているのが現状かもしれない。
発信者が増え続ける現代では、受信者がより求められるようになるのではないかと感じた。
受信者の価値
誰かを喜ばせることができるのは、発信することだけではない。発信者は「自分が誰かの為になっている」ということが自己価値となるため、「あなたのおかげで楽しく毎日を過ごせています」という受信者の存在が大切。私の好きな本に「One World」という本がある。そこに、こんなことが書かれてる。
人は誰しも、自分の人生の主役であると同時に、誰かの人生の脇役でもある
自分の人生は、自分のもの。どう生きようが、その人の自由。ただし、同時に「誰かの人生にも携わっている」ということを忘れてはいけない。その人の人生にどのような形で携わっていきたいか。誰かの人生の名脇役として生きることだって、立派な生き方ではないかと感じている。
「稼ぐ」と「使う」
「お金」を軸にして考えてみる。
私たちがセブンイレブンでお弁当を買うと、そのお金は当たり前にセブンイレブンに流れていく。すると、セブンイレブンの新しい商品開発に役立ったり、新店舗の建設に使われるかもしれない。当然だが、世の中全員が突然セブンイレブンの利用をやめると、セブンイレブンは経営難に陥る。
私たちは、誰かが払ったお金を受け取り、使ったお金は誰かの元に渡っている。
食費だって、生活費だって、娯楽だって。
私たちがお金を使うということは、お店やサービスに1票投じているようなイメージ。世の中の個人経営の店舗が潰れ、チェーン店がどんどん増えていくのは、私たちがそこにお金を投じ続けたからだろう。
経済は循環である。
誰かの支出が誰かの収入になり、誰かの収入は誰かの支出である。
大きな組織がその組織を維持、持続するために収益を蓄えていると、その分経済は滞る。お金の流れが悪くなると、私たちの生活は苦しくなる。
目の前の利益、目の前の欲求。
そこにお金を投じることが悪い訳ではないが、私たちはもう少し「これからの世の中がどうなって欲しいか」を意識してお金を使うことが必要なのではないかと思う。
当然ながら、チェーン店に人がいけば行くほど、個人店は苦しくなる。トップアイドルに応援が集まれば集まるほど、駆け出しのアイドルには人が集まっていないということになる。
「応援者=サポーター」として、どこにお金や時間を投じるか。誰を応援するか。
そのちょっとした心遣いが、より良い経済の循環を生み、生きやすい世の中に繋がっていくのではないかと思う。
誰かの支出が誰かの収入。
今日はどんなお金の使い方をしただろうか。