見出し画像

やまだ紫・生家散策記

1985年 大和書房から発行された「満天星みた」は当時のやまだ紫の日常を綴った初のエッセイ集でした。日記形式で「○月○日・広告原稿を一夜で仕上げた」など、今で言うXのような、Threadsのような呟きも書かれており、私が小学生だった時の話もあったりして、手に取るとついつい読み込んでしまう、そんな一冊です。

なぜ、今になってこの本に触れるかというと、実は先日、からかねてから交流のある沼部幸博氏からこんなメールが届きました。

『先日虔十書林さんで見つけた「満点星みた」を読破しました。子ども二人を抱えた漫画家のお母さんの奮闘劇。笑ったり、一緒に怒ったりしながら堪能しました。』

何を隠そう、この沼部氏、
母・やまだ紫&白取千夏雄の大がつくほどのファンの方で、初めてご連絡いただいたのは2019年。母たちの行きつけであった京都の「明青」の女将さん経由でお手紙をいただいた時からやり取りが始まり(長いので割愛しまして)現在に至ります。

今回、沼部氏が読んでくださった「満天星みた」の第二章【トラックピープル】と題された文中では、母が小学校に入学して最初の遠足から帰ると家が無くなっていた、という衝撃エピソードが書かれており、要は道路拡張の為に立ち退きになった話しなのですが、その場所についてイラストも交えて細かく書いています。

母が育ったのは東京都世田谷区三宿。
沼部氏は本を読んでブラ タモリ顔負けの世田谷散策をレポートしてくれました。

1資料①      ※左上は母の書いたMAP


『添付の写真の歯科医院の前のスペースから横断歩道あたりのスペースがおそらくそこです。確かに今の道は広いです。ついでに本の記載通りに三軒茶屋まで歩いてみました。現在は曲がりくねった道沿いに昔ながらの商店とこじゃれたお店が混在しています。虔十書林さんで、これを買いなさいとばかりに置かれていたので思わず入手した本でしたが、長年の疑問が氷解するすばらしい歴史探訪の機会を頂きました 。

文中の三茶通りはおそらくやまだ先生の生家から西に(左に)伸びる茶沢通りに通じている、昨日私が散策したうねった道のことだと思います(図ではまっすぐ)。一応茶沢通り経由で玉川通りに貫通しますが、ただ途中でいきなり細くなり、当時道の拡幅を断念したことが伺えます。確かに太子堂などの商店街を擁する道路なので、拡幅のための立ち退き交渉は困難を極めたことでしょう。また、やまだ先生の図中の左向き矢印で点線の道が通じるはずの環状7号線はさらに西になりますが、その間も現在では迷路のような道路だらけです。』

資料②       古い地図まで調べてくれました。
かつて、ここにやまだ紫の生家があった。※2024年5月沼部氏撮影

※『やまだ紫のファンは星の数ほどいても、
お二人(やまだ紫と白取千夏雄)のファンは数が絞られる』
何かのキャッチコピーのような、いつも熱い想いを綴ってくださる沼部氏に許可を得て掲載しております。

2017年に他界した祖母もずっとこの街に住んでいました。現在、叔母と私はそれぞれ埼玉に、私の姉は神奈川に居住。「都内からみんな離れていくのね」と寂しそうに言った祖母の言葉を思い出します。

そして、ちょうどこの5月から私の長女は都内で生活を始めました。今度、娘たちと母の生家あたりを散策してみようと思います。

『星の数ほどいる』かもしれない、やまだ紫のファンの方も、これからなってくれるかもしれない方も、どうぞ世田谷散策してみてください。

懐かしい本と懐かしい場所を思い出させてくれた
沼部幸博氏(実は凄い方)に感謝しつつ、また後ほど、やまだ紫の最新情報をお届けします。

ではまた。

やまだゆう

いいなと思ったら応援しよう!