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京都に居場所をつくれたら
京都ライター塾の前回のレポート記事の「おわりに」に、「いつか京都に戻れたら」というようなことを書きました。
そのことについてチューターの小澤まみさんと、フェイスブックでコメントをやり取りしていたところ「(京都に)自分の居場所のようなものがほしいなと思っています」という返事をいただきました。
しばらくして「ああ私もそうだ」と大学卒業後ずっと抱えていた、京都とどう関わりたいかという考え事がゆっくりとクリアになっていくのが分かりました。
京都で旅行団体のスタッフをし、京都の何かしらに関する専門家になることや、観光関係の仕事がしたいわけではないと思い。教員をやるも、教員がやりたいわけではないと思い。京都が舞台の小説を書くも、楽しくはあれどずっと書き続けている自分が見えず。京都の本やサイトを作るも、結局書きたくなるのは普段の日記の延長のもので、ガイド本のようなものは作れないなと思い。
結局、あの風景を眺めて、学生時代のように心の内を話せる誰かがいればそれでいいのではないか。なら住むしかないのでは、という答えがでかけていたところに上記のようなコメントをいただいたのでした。
仕事でなくても、ただ居場所があればいい。そして居場所なら住まなくてもつくれる。
それがどんな場所か今はまったく分からないけれど、これからも気長に、できる範囲で京都に関われることを続けて、私にとって心地いい居場所をつくれたらと思いました。