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仕事をやめます、と言った日のこと
お正月の帰省が終わり、家に帰ってきた日の夜に少しだけ仕事をしたときのこと。お正月休み中も仕事のことがたびたび頭をかすめては「帰って早々仕事か」「嫌だな」と重たい気持ちになっていたにもかかわらず、家へ戻ってくると意外とすんなりパソコンをひらくことができたのです。
「なぜだろう」と思っていたのですが、次の日、傘を片手に、子どもの手をもう片方に握り、近所の公園を横切って橋を渡っているとき、ふと「ああ私はなにもしていないことが不安で、その不安を消したいがために、したくもないことを含めたあれこれをして日々を埋めていたのだな」と気づきました。
家では、なにかをしていることが当たり前になってしまっていて、その「なにか」が好きなことや心地いいことであるかどうかよりも、なにかをしていることで得られる安心を手に入れる方が大切だった。だから仕事という「なにか」を得られて安心し、スッと仕事に戻れたのだと思います。その「なにか」はわたしにとって心地よくないことなのに。
そのことに気づいた日の夜、ずっと活動を辞退したいと思っていた契約先に、契約解除の申し出をしました。
この瞬間を、この日を、この一生を意味あるものにしたい。それはもはや強迫観念というか、プログラムのように頭に組み込まれてしまっていて、なにもしないことをする、したいことだけをすることがこんなにも難しくなってしまいました。子どもたちをみていて楽しいのは、そんなプログラムが組み込まれる前の人間の姿だからかもしれません。