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第6稿「か」ぞく(家族)のこと

ここでは、「あ」から順番に、それを頭文字とする言葉をテーマとして文章を書いていきます。

今回のテーマは「か」ぞく(家族)のことです。


ー目次ー
▼家族のことを書こうと思った理由
▼私が育った家族のこと
▼私から見た家族
▼家族の中での自分の在り方
▼今後、家族のことを書くことについて


▼家族のことを書こうと思った理由

なかなか重いテーマだなぁと。

でも、ここ5年ほど、かなり真剣に向き合ってきたテーマで、今ようやく言葉でまとめようと思えるところまできたのかと思うと、感慨深いです。

家族ってどうしても、最初に人間関係が発生する場であるため、そこで形成された人間関係の型みたいなものを、それ以降もずっと握りしめ続けてしまう。

そこで身につけた癖、思い込み、歪み。
そういったものが今の自分にとって本当に必要であるか、一つ一つ見直してきたように思います。


▼私が育った家族のこと

私が実家で暮らしていた頃、一緒に過ごした家族は、父・母・祖母(父方)・妹2人で、父は祖父から、母は祖母からそれぞれ別の家業を継ぎました。

特に母は、嫁いできて家業を継ぐことになったため、大変だっただろうなと。結婚しなければ、それに携わることもなかっただろうに、そんな風に見ていました。



祖父は私が2歳の頃に亡くなったため、祖母は自分の家族内の居場所を確保するためなのか、ずっと父に干渉し続けていたように思います。簡単に言うと、ずっと息子を手放さなかった。そして、父もそれに甘んじていたように思います。

だからなのか、ただ嫁姑の関係なのか、単純に性格が合わないだけなのか、それらすべてであるかはわかりませんが、祖母と母は仲が悪く、父が祖母の味方をしていたため、両親もあまり仲が良かったようではありませんでした。

そして、二人ともあまりコミュニケーションが上手でない上に、自分自身が今何を望んでいるかを自覚しないまま、相手に自分の中にある常識を察して動くことを求めていたため、互いが「なぜ私の思い通りに動いてくれないんだ。」「わかってくれないんだ。」そう相手に苛立っているように感じました。

だから子どもながらに私は、そんな二人の緩衝材になろうと努め、それはつまり親の親になるも同然であり、大人二人の親と、祖父を亡くし支えを無くしたような祖母の支えになるべく、奮闘して生きていました。


▼私から見た家族

両親は、言葉で話をするのではなく、お互いに空気を読めと相手に求めるだけであったため、思い通りにならない相手に対し、無言で苛立ち、無言で相手を憎み、無言で無視や制裁、意地悪をし、ときに感情を爆発させたり、暴力的な行動に出たり、今思うと、完全に機能不全の家でした。


▼家族の中での自分の在り方

私は子どもなりに一生懸命頑張って家族を一つにまとめようとしていたけれど、大人たちは結局、家族よりも自分を見ろと、自分を大事にしろと周りに要求し、私は子どもながら、自分の役に立たなさや無力さを自分で責めていたように思います。それも、大人になってから、親から離れてからもずっと。


▼今後、家族のことを書くことについて

ようやく今になって、自分が育ってきた場所でどういったことが起こり、自分の中でどういう人間関係の型が形成され、自分の苦しさはどこから発生していたのかを特定してこれたため、以前より辛さは緩和されてきたように感じます。

私は誰を憎み、恨み、この苦しさはどこから生まれているのかがわからなかったときは本当に辛かった。

だから、今ようやく、自分がそこを抜けてきて、少し距離を取って家族のことを考えられるようになったため、少しずつ家族の中で何が苦しくて、何が自分の中で解消していったのかを書いていければいいなと思っています。



▼おわりのごあいさつ

今日はとりあえずここまでです。
家族のことや自分のことは、このマガジンの他、「番外編」でも書かれていくかと思います。

自分と家族のことを考える際のきっかけになると嬉しいです。


おわり


written & photo by Y.Megumi

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