SNS/デジタル広告に囲まれる中で、取り組みたい3つのこと
2018年12月に「アドテク業界の概観」という記事を1度書いて以来、めっきりデジタル広告についての記事を書いていなかった。最近になって、改めて、デジタル広告業界について知りたい(知っておきたい)という気持ちになったので、少しずつ勉強している。
デジタル広告市場は自体は右肩上がりに、ひたすら拡大している。そして、2019年には日本の媒体別広告費において、デジタル広告(インターネット広告)は2兆1千億円と、ついにTVの1兆8千億円を超えた。
1. デジタル広告業界の概観
このデジタル広告業界でプレイヤーがサバイバルしていくには、いくつかの立ち位置がある。一つがメディア、もう一つがアドテク(アドサーバーやDSP・SSP)、そして、もう一つが代理店および運用力だと言える。
ここで興味深いのは、メディアとアドテクだが、これはGoogle、SNS(FB/Twitter/インスタなど)が双方を抑えている状態と言える。
「デジタル広告市場の競争評価に関する論点と今後の取組・内閣官房デジタル市場競争本部事務局(令和元年12月)」より抜粋した画像においても、巨大なグローバル媒体がアドテクと垂直統合を行っている記載している。
すなわち、むちゃくちゃざっくり書くと、強烈な媒体を持たないプレイヤーは広告運用に強みを持たざる得ない状況とも言える。この広告運用への強みを積み重ねていくことは、代理店としての顧客開拓力と、広告運用自体のオペレーションエクセレンスと想像できる。
2. 寡占状態のデジタル広告業界の問題
その最中、デジタル広告業界に興味が湧いた(逆説的なのだが)番組がある。ネットフリックスの「監視資本主義:デジタル社会がもたらす光と影」というものだ。何回かに分けて見た。SNSを使っている全ての人がチェックした方がいい。
簡単に要旨を書くと、以下のようになる。(いつか図示したい)
1. 現在、モバイルとSNSは暮らしの中に入り込んでいる
2. SNSの向こう側にあるスーパーコンピューターはできる限り媒体(SNS)に長い時間滞在するように、そしてクリック等のアクションに繋げるように働いている
3. これはSNSのビジネスモデルに起因する。SNSは広告主から収益を上げ、広告主はSNSのユーザーに広告を閲覧してもらい、購買行動を取ってもらうことを期待している。
4. したがって、SNSはユーザーにとって本質的に必要な情報か否かではなく、広告主にとってひたすら有益なアルゴリズム、プログラミング、機械学習を行うスーパーコンピューターを実装している
5. これによって、ユーザーは強い中毒状態となり、常にSNSを開く精神状態・行動を取るようになる。これにより、本来集中すべき事柄に意識を向けることが困難になる
6. また、SNSは個別最適化された画面が映し出される。属性、滞在画面、クリックなどの行動によって、ひたすら、長時間画面を見るように最適化される。このことで、その個人に耳障りの良い情報のみが提供されるようになる。かつ、この情報が真実なものかの検閲はなされていない(ように見える)。
7. このことにより、社会が分断されることに繋がっている。テロ行為や選挙による極端な二極化が起きている。異なる考えが存在することに対する想像力の欠如に向かわせ、対話ではなく、対立を促している。
3. これを受け、データ利用は規制されていく
一つ、メガトレンドとしてはあるのは、プラットフォーマーがCookie(3rd party)の利用を制限することなど、個人データは保護される方向にある。
プラットフォーマー自体もまたプライバシー強化の動きを見せている。たとえば、アップルの「ITP」(Intelligent Tracking Prevention)ではCookie利用に従来と比べて大幅な制限が課されている。Googleも、ChromeブラウザにおけるサードパーティCookieの利用をおよそ2年後に停止すると発表した。またTwitterは、位置情報やキーワードに基づいたターゲティングの廃止を広告主向けにやはり発表している。(引用元「Cookie規制で企業のデータ保持はどう変わる? GDPR・CCPAの動向もおさらい」)
欧州では一般データ保護規則(GDPR)が2018年5月に施行となり、個人情報に対する厳格な管理が始まりました。日本でも、政府が20年に個人情報保護法の改正を予定しているほか、19年8月には公正取引委員会はGAFAに代表される巨大IT企業による優越的地位を生かしたデータ取得の乱用についてのガイドラインを公表しています。国内でクッキーに対する規制が広がるかは現時点で不明ですが、もしそうなればネット広告業界に大きな影響を与えることは間違いありません。(引用元「Cookie利用規制が今必要な理由を整理する (1/2)」
つまり、デジタル広告業界の問題はすでに世界的に問題視され、それを改善される方向に舵を切り始めている。しかし、それがどれほどの効果がもたらすかは不透明な部分がある。
その理由は、各プラットフォーマーのビジネスモデルが広告ビジネスであり、資本市場は利益(株主価値)の最大化を求めるからであり、完全な自浄作用は難しいかもしれない。(そのための規制であるが)
4. 依然として、自分の輪郭を自覚する難しさと社会的な分断の危険がある
ここで、テーマを改めて個人の話に戻す。
自分という輪郭を自覚する難しさ
インターネットの発達は、様々な分野で民主化を促してきた。つまり、中央集権的な構造を溶かし、ネットワーク的な繋がりを生むことで、個人をエンパワーメントしてきた。日本の識者も、この流れから、個人の可能性の広がりや同時に自分自身の役割やミッションに対する自覚的であることの必要性を語っている。
一方で、興味深いのは、この「自分自身を自覚すること」の難しさだ。SNSを毎日毎日覗き、レコメンドを叩き、真実かどうかもわからないニュースを目にし、共感し、それが自分自身だと自覚する。そこに自分自身の輪郭の明確さはどこまで保たれているのだろうか。
分断化する社会
多様性が求めれている。自分らしさを発揮することは、そのまま多様性があることを示している。加えて、価値観、人種、ジェンダー、年代、地域様々なレイヤーに属する人の多様性の許容と対話によるクリエイティビティの可能性があるという主張もある。
一方で、SNSやレコメンドを通じて、コミュニティができる。一見、価値観が似ている人間同士の心理的な安全が保たれる望ましい場所ではある。しかし、その外にいる人間がそもそもいることを忘れる。自分が見ている個別化されたSNSが全てだと思い込み、対話をせず、対立が促されるのだ。
これは一体なんなのだろうと思う。
自分らしさを発揮することを促しているはずのテクノロジーは、その自分という輪郭を曖昧にする。多様性を認めることが創造性の根源だと頭ではわかっているのに、テクノロジーはクローズドな空間をSNSを通じて、脳内に作る。
この矛盾は何か。
5. このような社会で特に取り組みたい3つのこと
どこまでできるのか、わからないが3つここで書いておきたい。
(1) 身体性を伴う内省や気づきを得られる取り組み
(2) オープンな対話を持てる仕組み(クローズドとオープンのバランス)
(3) 広告以外のレコメンドや応援による主体的な消費(1st party dataによるビジネス)
(1) 身体性を伴う内省や気づきを得られる取り組み
これはヨガなどを通じた身体性の感覚を磨くことが重要な気がしている。何もこれは私が主張しているだけでなく、社会的なメガトレンドとしてもある気がしている。
(2) オープンな対話を持てる仕組み(クローズドとオープンのバランス)
対話という意味だと、二つある。一つは自分自身との対話。これはコーチングが有効だろう。もう一つが他者との対話。これが絶対的に社会的に欠けていく気がする。個人にカスタマイズされたメディアに触れる中で、いかに多様性の存在を感じることができるか。そして、分断するではなく、対話的に繋がることができるのか。
これが何か、ビジネスとして生まれるのか、規制・制度として担保するのか、今後想像してみたい。
(3) レコメンドや応援による主体的な消費
これは、すでにビジネスとして、展開されているD2Cやクラファンなどはこれに当たるような気がする。小規模事業者のストーリーや意味づけを行なっているEC(プラットフォーム)もこれに当たる。かつ、今後は誰か象徴的な人(応援される人)と応援する人の垣根が溶けていくのだと思う。いわゆる、共創型のビジネスだろう。興味深い。
6. おわりに
デジタル広告を調べ始めて、まさかこのような哲学的な話に展開されるとは思わなかったが、非常に興味深かった。
SNSの社会問題を生み出しているのは、テクノロジーというよりは「ビジネスモデル」だという論調が、冒頭で紹介したネットフリックスの番組だった。つまり、広告モデルを組み込むことの弊害だ。
一方で、広告はなくならない。伝えたい人と知りたい人がいる。そして、そのマッチングには明らかに価値がある。
これを機会に、これからの広告を考えたり、広告に関わらず、そもそものビジネスの形(toCもtoBもネットワーク型であり、共創型になっていくはず)どのような形になっていくのかを考え、できればそれを作る側に回ってみたいと感じている。
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