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〈本の紹介〉マッチラベルで描く宮崎の昭和レトロ/宮崎・街知本(まっちぼん) :20世紀の宮崎遺産アーカイブ 


2015年頃、運営していた SNSコミュニティーを通して提供していただいたマッチラベルのコレクションをもとに、2019年友人の出資協力を得て出版した 本 "マッチラベルで描く 宮崎の昭和レトロ「宮崎・街知本」" の一部を掲載紹介致します。

これを機に、本の中で紹介しきれなかったマッチ・ラベルを ここ note を通して、新しい読み物として整理しながら作成し紹介してゆきたいと考えています。

2019年10月10日 ブイツー・ソリューションより出版した「宮崎・街知本」の紹介です。



1. まえがき

宮崎のマッチラベルの背景イメージ

この本は、 戦前〜戦後 (1940s 〜 1970s) に存 在した宮崎県内の企業・商店の広告マッチラベ ルを集めたアーカイブです。 宮崎の昭和レトロ・グラフィティー & 宮崎の商店街史として楽しんでいただければ幸いです。

「宮崎・街知本」まえがき

2. 挨拶文 (本の作られた背景)

かって宮崎市のメインストリートは活気に満ち溢れる時代がありました。 人々が輝き活気に溢れる賑やかな町並みが存在しました。 残念なことに、それらの多くが姿を消してしまっています。
輝いていた人々や商店街など、活気ある町並みの記憶を収集し記録して残せないものかと、 SNS(facebook) に「20世紀の宮崎遺産」というコミュニティーを開設し、昔の街並みを捉えた宮崎市街の " 写真 " の提供を呼びかけ共有発信する活動を行っています。

そんな中・・コミュニティーの参加者 T 氏から、ある収集品の提供をしていただきました。 T 氏の父親が収集・整理した「マッチラベルのスクラップブック」です。古いものは戦前 ~多くは昭和 30-40 年代の全国各地の様々な業種の広告マッチのスクラップブック 10 冊です。なんでも氏の親戚にあたる人物が収集してきたものを、T 氏の父親がスクラップ ブックに整理したもので、収集と整理の過程が三代に渡り引き継がれたものです。T 氏は 何かの役に立てばとの思いで声を掛けて下さったという流れです。

このマッチ箱のスクラップブックとの出会いは衝撃でした。 マッチ箱一点一点に目を通し、宮崎のマッチを見つけるごとに、忘れかけていた街並の様 子が私の頭の中で少しずつ蘇り再構築され始めます。記録を残すことの意味 = “ 記録の力 ” を改めて考え直す非常に大きなきっかけとなりました。 このマッチラベルのコレクションを元に、昔の宮崎市の町並みを記録し、残せないだろう か ? そうして、その膨大なマッチ箱のコレクションに向かい、宮崎のものを拾い出しな がら、その所在地と年代を調べる試みを開始しました。

「この町はどのような歴史を辿ってきたのだろうか ?」.. 小さくとも暮らしに密着した記憶こそ 本来、後世に残すべき貴重な財産ではないかと考え ています。それは単なる記録にとどまらず、宮崎の風土や人間性がいかにして育まれてて来 たのか ? ということにも繋がるような気がします。姿は消してしまったけれども、かって存 在した小さな足跡をここに集め、再び蘇らせることが出来たらという思いで一冊の本にまと めてみました。決して豊かではなかったけれど多くの人々が繋がり活気に満ち溢れていた宮崎市の記憶を整理し、次の世代に伝えることが出来たらと思います。

内容的にはまだ不十分な状態ではありますが、マッチラベルのおおまかな分類と整理が出来 ましたので、少しでも早く皆様方にご覧いただきたいと思い、期限を切って一冊の本として 出版することにしました。
マッチ箱を通して振り返って見る宮崎市の昭和の記録です。 世代を超えて楽しんでいただけると幸いです。

ネタは「昭和」、構想は「平成」、完成は「令和」。

21 世紀の宮崎遺産アーカイブ事務局 代表 山田 章雄

「宮崎・街知本」挨拶文

3. マッチの歴史

1827 年 ( 文政 10 年 ) に英国のウォーカーが黄燐マッチを発明。工業的には 1831 年にフランスのサウリヤにより製造。1844 年に後に世界を制したスエゥーデンのヨンコピングマッチ工場が設立。日本で初めてマッチが作られたのは 1875 年 ( 明治 8 年 )。そして 1878 年(明治 11 年)に始めてマッチが輸出されるようになります。それ以後マッチの輸出が次第 に増加し、重要輸出製品の一つとなります。需要の増加に伴い製造マッチの収集家も現れ始め、次第に世間にマッチ箱の収集の趣味が広がるようになり始めます。
1897 年 ( 明治 30 年 ) ごろからは 2 色刷りや多色刷りも誕生。デザインも海外の模倣から脱皮し、独創的なものや世情を反映したものなど、バラエティに富んだマッチラベルが市場をにぎわせ、やがて、デパートやカフェ、旅館、ホテル、そして企業のマッチなど、宣伝つきのマッチが続々登場し始めます。
それまでは手作業で行われてきたマッチ製造 =( マッチのラベル貼り ) 経木 ( きょうぎ )=[ 杉やヒノキなどの木材を紙のように薄く削ったものを色付けの薄紙で箱型に作成したもの ] にでんぷん糊でラベルを貼っていたものは昭和 30 年頃 (1955) まで、それ以降マッチ製造は全面的な機械化がすすみ、紙製の箱になり手作業による箱張りは跡を絶ちます。その後、ライターなどの普及、喫煙者の減少によりマッチ生産は減少傾向に入り現在に至ります。

「宮崎・街知本」マッチの歴史
宮崎のレトロマッチ

4. 「宮崎・街知本」の収録目次

【宮崎市内】
[市央 市央南]
橘通1丁目~橘通 6 丁目 P008 若草通・広島通 P030 宮崎駅前・栄町・高千穂通・老松通・瀬頭 P034 別府町・宮田町・旭通り・本町 P039 大淀河畔・松山町・川原町・小島町・吾妻町 P044 上野町・末広町・元宮町 P048 松橋町・鶴島町・上水流町 P052 仲町 + 大成座・帝国館 P054 恵比寿町 ( 恵比須町 ) P058 西橘通 + センター通 P062 黒迫町 + 劇場側 P072 高松通・千草町 P078
[市央 市央北]
丸山町・原町・花殿町・船塚町・清水町 P081 神宮町・花ヶ島・江平町 P082 東雲町・丸島町・不老町・栗山町・寿町・深堀町 P086 一ッ葉・大島町 P087
[江 南]
大淀地区 ( 中村町・東町・春日町・太田町・天神町 P088 鶴田町・有明町・南町・淀川町・南宮崎駅前 恒久・本郷・田吉・赤江 P093
[市南部]
木花・加江田・折生迫・内海・青島 P093 清武町・田野町 P096
[市西部]
大塚町・生目・小松・跡江 P098 高岡町・倉岡・瓜生野 P099
[市北部]
佐土原町・広瀬・住吉 P102
【宮崎市隣接地域】
東諸県郡 ( 国富町・綾町 ) P100 その他のマッチラベル P105 住居表示の変更時期 P108
【宮崎県内】
県域区分地図目次 P109 延岡市 P110 日向市・門川町 P112 高千穂町・日之影町・五ヶ瀬町 P114 椎葉・諸塚・美郷町 P115 都農・川南・木城 P116 高鍋町・新富町 P118 西都市・西米良村 P122 小林市・えびの市 P124 都城市・三股町 P126 日南市・串間市 P129
企業広告マッチラベル P133
写真 (1)
宮崎市史 宮崎市を活気づけた銘店のあれこれ 図版提供者一覧
あとがき
支援者一覧

「宮崎・街知本」本の目次

5. 地域分類について

本書はマッチに記載された住所表示ごとにグループ化しページを構成しています。 地域名の表示は下記のような分類を行っております。

本の中での地域区分 宮崎市マップ

[市央/市央南] 橘通1丁目~橘通6丁目/西橘通り/若草通り/広 島通り/宮崎駅前/栄町/高千穂通り/老松通り/ 瀬頭町/別府町/宮田町/旭通り/本町/大淀河畔 /松山町/川原町/小島町/吾妻町/上野町/末広 町/元宮町/松橋町/鶴島町/上水流町/仲町/恵 美須町/西橘通り/黒迫町/高松町/千草町

[市央/市央北] 丸山町/原町/花殿町/船塚町/清水町/神宮町/ 花ケ島/江平町/東雲町/丸島町/不老町/栗山町 /寿町/深掘町/一ツ葉・大島町

[ 江南 ] 大淀地区 中村町/東町/春日町/太田町/天神町/鶴田町/ 有明町/南町/淀川町/南宮崎駅前/恒久/本郷/ 田吉/赤江

[市南部] 木花/加江田/折生迫/青島/内海/清武/田野
[市北部] 佐土原/広瀬/住吉
[市西部] 大塚町/生目/小松/跡江/高岡町/倉岡/瓜生野
[ 市隣接・東諸県郡 ] 国富町/綾町

「宮崎・街知本」地域区分解説

6. 住居表記について

この本に収められたマッチラベルの大半は昭和 40 年代前後のものが多く、いまでは存在 しない住所が多く含まれています。この本では昭和 37 年の住居表示の改正が始まった昭和 41 年以前の住所名を使用しています。
住居表示変更の背景
明治4年に戸籍法が定められ、従来の町村区画とは別に区という行政区画が設けられました。明治 6 年 (1873) 地租改正条例以来の国の重要な課税対象として土地台帳に記載されている地番。これが戸籍の本籍地の所番地となり、現在の住所の番地にまで使われるように なりました。とはいえ当時の宮崎市の大半は田畑ばかりで町名すらないところばかりだったようで、「任意な呼称」で呼ばれていた地名ばかりで、それらが整理されたのは昭和 2 年に 宮崎市が実施した町名改正及び町域変更からのようです。さらに所在地番の表示をもっとわかりやすくしようとしたのが昭和 37 年 5 月 10 日公布の「住居表示に関する法律 = 住居表 示制度」で、どの町でもそれを実施することになりました。
この法律による住居表示方法は「街区方式」と「道路方式」2通りあり、宮崎市の場合は 道路事情や町の形態などから「街区方式」を採ったようです。下記の地図は、「街区方式」 を採用する以前の昭和 26 年の宮崎市街地地図で、昭和 2 年以降の宮崎市の町域を色分けし た市域地図です。本書に収められているマッチラベルのほとんどが、この町域住所表記の時 期にあたります。

「宮崎・街知本」住所表記について
昭和26年頃の宮崎市街図

7. 「宮崎・街知本」ページサンプル 1

「宮崎・街知本」 8頁

8. 「宮崎・街知本」ページサンプル 2

「宮崎・街知本」 9頁

9. 本の概要 PR文

マッチラベル 1,600点 で描く九州・宮崎の昭和レトロ「宮崎・街知本(まっちぼん)」

九州・宮崎。1940年代~1970年にかけてのマッチラベルを中心に、高度経済成長期のもっとも街並みが輝いていた時代の面影を商店や飲食店など当時のマッチラベルと、SNSコミュニティーに寄せられた投稿写真などを元に宮崎の昭和を描くマッチラベル・グラフィティー。

まもなく市政100周年を迎えようとする宮崎県宮崎市。現在の宮崎市の街並みの形成の歴史は意外と浅い。終戦から75年、日本のいたる都市部と同じように戦災により一度、消滅しかかった街並みの復興とその後を築いた高度経済成長期の街並みの足跡をマッチ箱のラベルで綴るグラビア。デザイン画としても必見!!

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