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「雷雨、所により晴天なり」

「雷が落ちるような衝撃をくらったことがある? 」
ある日友人に聞かれた。

即答するには少し難しい質問であったため、少し言葉に詰まってしまった。
私自身すでに40年数年生きていて、人生を振り返ってみたら、雷が落ちたような衝撃的な事件はいくつもあった。

実際、雷が落ちる様な気象時は、同時にザーザー降りの雨も降っていたりする。

それは心に雷が落ちたような衝撃をくらってその後号泣する……そんな感じに似ていると思う。

私は友人にこう答えた。
「雷が落ちたような衝撃的な事……うん、いくつかあるよ。」
そしてなんとなくそこで話を止めてしまった。

そう、そこでお天気が怪しくなってきたからだ。
朝のニュースで見た、本日の天気予報は
「本日は晴れのち曇り、所により雷雨が伴うでしょう」とのことだった。

友人と「そろそろ帰ろうか」と言ってその日は別れた。

だが、先ほどの質問がなぜかひっかかりモヤモヤと心に雲がかかったような気持になった。
数年前の、とある衝撃的なことを思い出したからだ。

そんな気持ちで歩いていたら1軒の喫茶店が目に入った。
お店の名前は「雨音珈琲」その白い木製の扉になんだか吸い寄せられるように入った。

店内はシックな雰囲気で、木製の年輪をそのまま生かしたテーブルが、人生を振り返りながら記憶を辿っている今の私の気持ちに寄り添っているかのようであった。
BGMも懸かっておらず、静寂の空間。
そんな空間で丁寧に淹れられた珈琲を一口いただく頃には雨音が響いていた。

何時くらいに雨が上がるのだろうか……スマートフォンで雨が上がる時間を検索をしようとした時に、手が滑って予測変換で出た「雨音が響いていた」というという言葉を検索してしまった。

運命のいたずらなのか。
偶然検索をしてしまった「雨音が響いていた」実はこの言葉に隠された切ない思いがあるというのだ。

「雨音が響いていた」という意味は、愛を告げる隠し言葉で、「愛してる」とストレートに表現する習慣のない日本人が「あなたを愛してました」という意味合いで使っていたそうだ。

知らなかった。

その時、雨音だった音が「ゴロゴロゴロ……」雷の音が混じり入るようになってきた。

その雷の音とともに封じ込めていた記憶が蘇ってきた。
私は数年前に離婚をしいて、その後に一人だけお付き合いをした人がいる。

出会ってから1年ほどお付き合いをしていた。
ある休日、その日も朝から彼と何往復か何気ないメールのやり取りをしていた。
そして用事で出かけようとしている際に、先ほどの私の送信からやけに時間が経って彼からの返信が届いた。
いつも簡潔に短文メールを打つ彼であったが、開いてみたら何やら長文で色々書いてある。
途中の諸々はもう覚えていない。
最後に「別れよう、今までありがとう」と書いてあった。

ほんの数時間前まで何気ない会話をしていたのに……突然のお別れを告げるメール。
あまりの急すぎる展開、その時の雷が落ちたような衝撃と、焦りは今でも忘れられない。

その日はあまりの衝撃に出かける用事をキャンセルし、その瞬間から食べ物を受け付けなくなり、食いしん坊で有名な私がなんと3日も何も口にできなかったのである。

だけど、失恋の痛手は日薬よね、というように時が経つにつれてだんだん失恋の痛手もやわらぎ、1か月も過ぎるころには時々思い出すことはあるもののほぼ立ち直っていた。

そこからしばらく忘れていたのだが、今日の友人から「雷が落ちるような衝撃をくらったことがある? 」と突然の問いかけ、偶然手が滑って検索をしたことにより知ってしまった「雨音が響いていた」という意味は、「愛を告げる隠し言葉」という事。
そしてこの雷雨……一気にその時の記憶が蘇った。

なぜか彼といる時は雨の日が多かった。
「雨男」なんだろうか。

あまり賑やかなところが好きでない彼は、部屋の中でまったりと2人でコーヒーを飲みながら話すことが好きだった。

「雨の日に部屋の中でコーヒーを飲んだり、読書をしたりって結構好きなんだ」
彼はそう私に語ってくれた。

そんな記憶を辿りながらハッとした!
そうだ、彼は私にこんなことを言ったことがある。
衝撃のお別れメールが届く数日前のことだ。
「今日は雨音が響いてるね、八重は雨の音って好き?」と真っすぐにこちらを見て聞いた。

その時は普通に「んー、嫌いではないけどやっぱり晴れの日の方が好きかなぁ」って答えた。
なんとなく寂しそうな顔をされたことを思い出す。
そう、きっと彼はそんな回答を聞きたかったわけではなかったのだ。

愛してる、愛してないに雨は降らないけれど「雨音が響いてるね」という言葉の中に「愛してる」もしくは「愛していた」という彼の心の中で響いていた気持ちを伝えようとしてくれていたのだ。

だけど私はその気持ちに気付かずに、かわしてしまった。
よくよく考えてみたら、彼はよく雨にまつわる話や、例えを私に話してくれていた。

雨が特別好きではない私はまったく気にも留めていなかった。
彼にとって大切な話を私は無関心で気付こうとせず「雨音が響いている」の中に愛してるの意味が込められていることが分かるようなヒントも、きっとたくさん話してくれていたはずなのに……私の無関心さがいつのまにか彼を傷つけていたのだ。

当時、別れようと言われた時の彼の真意はわからなかったが、なんとなく色んなことが繋がり、今やっとわかった気がした。

人生うまくできているなぁ。
少々遅かったかもしれないが、気付かせてくれた運命のいたずらに感謝の気持ちが生まれた。自分の人生に起こることは偶然の重なりのようで必然の積み重ねなんだと。

そして、私の中でずっとモヤモヤしていた気持ちが晴れたような気がした。
激しい雨の後は、晴れて青空が広がる。

だから、悲しい時や、辛い時は思う存分泣けばいいし、落ち込めばいい。
その時は悲しくて涙が溢れていても、またパーっと青空が広がる。
長らくモヤモヤすることだってある。
だけどいつかは必ず晴れるのだ。

「雨音珈琲」の白い扉を出るころには雨もすっかりやみ、雲一つない青空であった。
それはひとつも濁りがなく澄みわたっているように見えた。
まるで、私たちの人生を応援してくれるかのように。

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