自主練をするようになったきっかけ

今回は自主練をするようになったきっかけ

について話したいと思います。
小姑シリーズもまだまだあるからお楽しみに!


私、ほんと【無駄な時間なら帰りたい】タイプで
自主練はほとんどしなくて。
自主練という名の強制練はとりあえず周り見て合わせてやるテキトー女だったの。
自主練で上手くなる なんて信じられなかったから。
それで結果出せてなかったし。
避けて通ってきた って感じかな。
だって、結果としてすぐに現れないし?
無駄って思ってるから帰りたい。みたいな。
まぁ、無駄ならすぐ帰りたいって
それは今も同じなんだけど。
グダグダシュートやトレーニングしてるくらいなら
10分でも集中して打って帰った方が自分の為になると思ってる。私は。


振り返れば高校の時。
寮と体育館は廊下で繋がってたんだけど
練習前の基礎トレ、テーピングの時間を計算して
余分に早く行かなかったな。
ギリギリまで寮で寝るタイプだったし。
(今はこれがいいと思ってない)
練習後も先輩達がシュート打ち終わるの待ちながら打って
先輩たちがバッシュ脱いで体育館出た瞬間にシューティング終了!みたいな感じだったし。
ただ、3年になるときにターニングポイントがあって
そこで私の進路だったり運命が変わったんだよね〜
それはのちに書くとして。


大学の時も、教職もあってか授業終わりでギリギリ体育館ついて
ストレッチ軽くやって練習してた。
時には練習の10分前に体育館着いて
着替えてバッシュ履いて、はい!練習!みたいな時もあって。
終わったらバイトあったから速攻帰る。みたいな。ね。


今となっては、だいぶふざけてるなーと思うけど。
よくやってたなー
一番ハードだった日は
大体の時間だけど
630-11バイトのカフェオープン(新宿)
移動(西武新宿ー小手指)
授業(所沢)
移動(小手指ー早稲田)
授業(早稲田)
バスケ(早稲田)
21-5バイト(高田馬場)
こんな日もあったなんて🙄🙄🙄
大学生タフすぎる。


そんな私が変わったのはね、
トヨタで先輩の姿見た時。
先輩達凄かったなぁ、当時の衝撃たるや。


当時は、午前中は練習9時や9時半で
ほぼほぼマンツーマンでコーチとやって
そのあとトレーニングコーチと30分トレーニングで
結構ハードだったのね。
だけどさ、
そのもっと前の朝6時過ぎには
体育館に来てシュート打ってたり
サウナスーツ着てバイク漕いでたんだよね、先輩。
しかも、中堅の人達。
5.6年目以降の人達がよ。

一年目は準備があったから
早く体育館に行ってたけど、
それより早く着いてシュートやトレーニングしてた。
着いた時には、みんな汗かき終わって、
シャワー浴びてたりして。


午後は対人系メインで凄い体力消耗するメニューが
ズラリだったから
私としては体力をできるだけ温存しておきたい
と考えていたのに。
年上の先輩たちが、後輩より先に来て汗かいてるんだよ。


衝撃だったなー。
強いチームの裏の努力って計り知れないなーって思った。
だって代表選手が、やってたんだもん。
ここでの先輩は当時の川原選手と鈴木選手。二人ね。

体力フルに、出し惜しみしない感じが凄かった。
私当時、大学でインカレ優勝したりMVPもらったりしてたから
振り返ると、ちょっと天狗になってたのでは?と思う。
練習の声出しって若い子がやる仕事だと思ってたし
(私もそうしてきた)
バレないところで多少手を抜いてもって思ってた学生上がり。
自分ではそれなりにレベルは高いって状態で入部しちゃったから、もう大変。

信じられなかったなぁ。
これがプロの世界か。って思った。


当時のイメージだと
スタメンや代表選手の方が練習してたな、
しかも練習前に。
練習後も軽くシュートとかはしてたけど
さくってやることやって上がるって感じだったな。

先輩達さ、
午前中プラスαで倍動いてるのに
練習中もシュート落とさないし
(当たり前って言われた)
イージーシュートやレイアップ落とすなんてあり得ない空気感すらあった。
そして年齢関係なく
みんなひたすら声出してるの。

練習中黙る瞬間なんてコーチの話聞くときだけ。
凄いなぁって思った。


甘ったれた私は、先輩達の姿に秒殺されました。

だけど、そんな細かいところまで
手を抜かないのが、当時の先輩達で。

見習うことしかなかったなぁ。


もちろん練習中は、厳しかった。
仲間でも言い合ってたし、ルールは徹底するし。
それでもって優しさもあった。
監督喋り出すと先輩が近くに来てくれて説明してくれたり
フォローしてくれたり。
私大声出す習慣とかなくて
就職後ずっと声出し続けてたら
数ヶ月で喉にポリープ出来て
2週間全く声出なくなっちゃったんだけどね。
監督から遠い位置で注意された時、代わりに先輩が返事してくれる
なんてこともあった。

先輩だからって威張ることも
年下をこき使うようなこともなくて。
(なんか漫画のイメージだとね、映画の見過ぎ?笑)
背中を見て学んだ。
ながーく話したけど
こんな流れがあって私は
3年目から先輩と同じ時間に来て自主練をはじめました。羽田に移籍してきてからも、ずっと自分で時間作って引退の日まで、やり続けたよ。


偉大で尊敬できる先輩達見てたから
こんな人、選手、先輩になりたいって思った。
とは言うものの、
トヨタではずっと下っ端で
中堅になる前に移籍しちゃって先輩になりきれてなかったからさ
羽田に移籍が決まった時
私が先輩達にしてもらってきた事を返す番だなって思った。


先輩のあるべき姿というか。そういうもの。
頼れる、優しい、先輩になりたかった。
なんか色々みせたかったんだと思う。
家族みたいなチームにしたかった。
なれてたのかは
自分じゃわからないけど
私自身、若い子に囲まれて新鮮な環境で
凄い楽しかったのは間違いない。笑

なんか最後は感想になっちゃった🙃笑


毎回、書いてて思うのが
人と人とをつなげるバスケって最高だなぁってこと。
好き勝手書いてるから
文がごちゃごちゃですみません、
でも楽しんで読んでもらえたら嬉しいなぁ
次は何書こうか🙂

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