RFK Jrへのメッセージ:新しいワクチン政策実施の前に熟慮すべきこと
米国の選挙の結果、RFK Jrが公衆衛生問題を監督する立場になれば、公衆衛生政策に劇的な転換がもたらされることだろう。これは歓迎すべき変化である。というのも、米国だけでなく世界的にも、保健当局の無能さ、利益相反、頑迷さには失望させられるばかりだからだ。しかし、ワクチン学者として、米国で進む極端な二極化には懸念を抱いている。
最近では意見が分かれる問題には白か黒かの答えが求められるようだ。ワクチンに関しては、ワクチン接種を無制限に実施することを無条件に推奨するか、ワクチンと名のつくものは全て否定するかのどちらかに分かれるようだ。ワクチン接種の対象集団、ワクチンの種類、疫学的状況、そして、研究に示された客観的データに基づきメリットとデメリットを科学的に検討する姿勢は、もはや多くの人にとって意思決定過程に含まれないようだ。
個人に及ぼす影響についての議論もしばしば単純化されすぎている。私はなにも、健康な子どもたちが、(たとえ極めて稀だとしても)その結果として重篤な健康問題が発生する可能性がある物質を注射させられることを社会として受け入れるべきだと言っているわけではない(彼らはそのワクチンの標的疾患に曝されることすらないかもしれない)。そうではなく、いわゆる「ワクチンで防げる感染性疾患」は、集団全体で形成される集団免疫によってのみ封じ込めることができる、という認識が欠如しているのではないか、ということが言いたいのだ。この問題は、いわゆる推奨派も反対派も、どちらにとっても取り上げたくない議題となってしまった。集団免疫の生物学的意義を真に理解している者は少ないようだ。私は最近の投稿で、この問題に関するよくみられる誤解をいくつか指摘した[日本語訳]。
集団免疫があれば、ウイルスの伝播が抑えられ、ウイルスに対する防御免疫をもたない人にも増殖性感染が起こらなくなる。集団免疫は、集団の中の十分多くの人が免疫反応を構築し、増殖性感染を起こさなくなった場合にのみ達成される。たとえば、急性自己限定性感染を起こすようなウイルスによるパンデミックの際に、多くの人が自然感染で免疫を獲得することで達成される。こうした急性自己限定性のウイルス感染(例えば、SARS-CoV-2)は、無症状のままに排出されてあっという間に広がるが、発症者の細胞傷害性免疫エフェクター細胞の働きによって、通常はすぐに封じ込められる(これが自己限定性と呼ばれる所以である*)。
発症した者は、自然免疫が訓練されたおかげで、次の感染時には増殖性感染を防ぐことができる。前の感染時に誘導されたウイルス中和抗体が再び増える効果もあるかもしれない。結果的に、集団の大部分が自然感染の後、殺菌免疫**を持つことになる。特に子どもたちや健康な若者は、病原体に曝されても、第一線で戦う、よく訓練された免疫防御による自然な免疫反応だけで、十分に増殖性感染から守られるケースが多くみられる。したがって、若く健康な集団では、血液中の(中和)抗体価の増加を測定することでは集団免疫のレベルを推定することはできない。そのような、いわゆる血清転換の測定では、集団免疫は著しく過小評価される。一方で、集団免疫が機能していると、ウイルスの拡大が制御されるため、時間が経つにつれ、自然免疫は次第に弱まり、血液中の中和抗体濃度は次第に減少し、集団免疫は弱まっていく。ウイルスが外部から集団に持ち込まれない限り、あるいは、中和抗体の免疫記憶をもつ人の割合が十分大きい限り、このことは問題とはならない。しかし、集団免疫が弱まった場合、過去に罹患したことがない人や、全く感染したことがない人は、罹患リスクだけでなく、重症化するリスクも高まるだろう。このため、集団免疫を維持し、流行の再発を防ぐことが重要なのである。
集団内の免疫を持たない層(例えば新生児など)に弱毒生ワクチンを接種することは、自然免疫を強化するだけでなく、獲得抗体という免疫記憶を確立し、それによって、接種者自身の防御だけでなく、集団免疫の維持にも役立つ。集団免疫を維持することで流行の再発を防ぐことが期待できるが、その一方で、それまでの感染やワクチンによって誘導された記憶B細胞によって産生される抗体には特異性があるため、高度に変異したウイルス変異株によるパンデミックを防ぐことはできない。このことを考えれば、弱毒生ワクチンが、急性自己限定性感染を引き起こし、かつ、遺伝的に非常に安定したウイルスだけに使用されているのは驚くべきことではない(例:麻しん、おたふく風邪、風疹ウィルス)。
この理由により、私は、変異に依存しない幅広い非特異的細胞性自然免疫を訓練し、殺菌免疫によって増殖性感染を防ぐという、新たなワクチン戦略を提唱し続けている。そのような免疫介入は、接種者自身を疾患から守るだけでなく、集団内でのウイルス伝播を十分に抑制することによって、免疫を持たない人々を増殖性感染から守るだろう。
したがって、集団全体に急速に広がる能力があり、急性の、致死性ともなりうる感染をおこすウイルスに対し「放任主義」を取ることは、集団免疫に穴を作り出すことになる誤った対応であると私は主張している。たとえ先進国であっても、特に、空気感染するウイルスに対しては、社会全般の、および、個々人の良好な衛生状態や、適切な衛生管理のみで十分な防御を保証することはできない。集団免疫に大きな欠落があると、感染圧力は急激に高まることになり、既に免疫を持つ人にであっても重篤なブレークスルー感染を起こす可能性さえ考えられる。
自然に備わった細胞性自然免疫の強化を目指したアプローチは、広範な呼吸器感染性ウイルスや他の感染性因子に対し、(さらには、アレルゲンのような非感染性因子に対してさえ)防御をもたらす可能性を秘めている(例えば、NK細胞ワクチン)。しかし、ワクチン業界がそのような広範作用性のワクチンに興味を持たないことは言うまでもない。複数の疾患/感染を同時に防いだり、治療したりできるような免疫介入を採用しても、大きな利益とはならないからだ。一方で、十把一絡げに全てを捨ててしまえとばかりに、集団的に発生する感染症に対してさえ、ワクチン接種を個人レベルでのみ考えるべきだというのは、短絡的としか言いようがない。
訳注:
*自己限定性(self-limiting):流行としても自然収束し、したがって、疾患としても自然治癒する性質
**殺菌免疫(sterilizing immunity):病原体(この場合はウイルス)を完全に排除してしまう免疫
いただいたサポートは一般社団法人ワクチン問題研究会に寄付されます。