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説教してやろうか 2024/06/23

アーケードを並んで歩いていると、隣の恋人に「ごきげんよう」と声をかけてくる影が視界の端に入ってきた。見ると同世代くらいの男で、背後にウォーターサーバーが数台立っている。表情がニタついている。私は歩みを止めないまま数秒睨み続けて、10mほど過ぎたあたりで憤然と腹が立ってきた。恋人に「思わず説教してやろうかと思った」と愚痴ると、「恥ずかしいからやめて」と宥められた。

このところは腹が立つと、「説教してやろうか」と思うことが増えた。説教なんてしたことないのに。どうしちゃったのだろう。

自分が感情的に怒ることと、相手を教育的に導くことが、両立すると気づいてしまったのだろう。昔は感情を心の奥底に押さえ込むことしかできなかったけれども、表に出して表現してよい環境や手段を手に入れてしまった(と錯覚している)。

それとは別に、大人には怒らなければならない局面というのがあって、そういう局面でなんとか怒れるようになったのの副作用でもある。そう思うと、怒りっぽい老人というのも、いままで怒らざるを得ないで来たということなのだろう。

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