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大森靖子『Kintsugi』評 #1

大森靖子の『Kintsugi』は、「夕方ミラージュ」="You gotta marriage"で始まって、『KEKKON』で終わる。つまり、結婚で始って結婚で終わる。ではその過程に何があるのか?

妄想で補いながら、#2〜#9 の物語を簡単に追ってみる。
別の誰かを妄想しながらSEXする→真夜中に家から逃げ出し不倫相手に会いに行く→自分の加害性を自覚しながら離婚する→社会の倫理に逆行する自分を「カウンター」として自己肯定する→職場をクビになる→絶望して露悪的に振る舞う→オタ活でアイドルに元気を貰う→「生きる価値も死ぬ理由も僕なんてバカじゃない?」と自立しはじめる。

要約すると「依存症的な主人公が、自立性を獲得していく」ような物語だ。恋愛依存からの日常への自立というストーリーといえば、椎名林檎『勝訴ストリップ』・『教育』(※東京事変名義)が浮かぶ。『Kintsugi』では、そのアタマとオシリに"結婚"が付け加えられるかたちだ。



面白いことに、#6 「堕教師」では、職場での関係性が悪化し退職に追い込まれていく過程が描かれている。不倫がバレて注意され、不満がとめどなく溢れている様子が伺える。「酷いことするとき酷い顔できる大人になってくださいね」の「酷いこと」をしたのは、他でもない「私」なのだろう。

『勝訴ストリップ』『教育』では描かれなかった「働くこと」が、『Kintsugi』では描かれる。それはつまり「男性に養ってもらえるわけでない社会で、女性が恋愛する意味とは何か?」という問題が、新たに生じたということだ。『Kintsugi』の結婚論は、経済・社会性と固く結びついている。



ここまで、アルバム全体の流れを整理し、「堕教師」にスポットを当ててみた。今日らとりあえずここまでにして、次は#1と#11を詳しく比較していきたい。何日か空くかも…

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