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ファイナル・ボキャブラリー 2024/02/15

録画していた『100分de名著』はローティ特集の第2回目で、「ファイナル・ボキャブラリー」という概念が紹介されていた。自分の心を言語化するときに最終的に片付ける言葉を指すらしく、例えば江戸っ子が言動について咎められて「だって俺は江戸っ子だから」と答えるとき、この「江戸っ子」をファイナルボキャブラリーと定義するそうだ。自分を自分として納得させる言葉だろうか。

録画が終わってチャンネルを回すと、『水曜日のダウンタウン』のスタジオゲストに伊集院光が居たので、続けて観る。過去に炎上した吃音者の芸人が、批判に屈せずドッキリの仕掛人に挑戦するという企画だった。笑うに笑えず、感動するには不出来で、難しい内容だった。

「芸人」は、芸人のファイナル・ボキャブラリーたる単語だろう。それは一職業名を超えた、生き様を表す言葉になった。けれども、それでよいのだろうか。伊集院は VTRに、「芸人はどんなコンプレックスも笑いに変えられる最高の職業だ」とコメントしていた。それは、逆にとても残酷なことだと思った。

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