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小説 #10

田村が漠然と芸人を目指しはじょいめたのは高校時代だった。夢や憧れがあったわけではない。むしろ高校時代の田村は、そういった輝かしい理想や将来を鼻白んでいた。

入学時に入った軽音楽部は早々に辞め、かといって仲の良い友達と青春を謳歌するわけでもなかった。教室で当たり障りのない会話をして、授業を少し真面目に聞き、弁当を食べて帰るという日々の繰り返しだった。

入学時には互いに手探り状態だった人間関係も、似た属性の者が少しずつ寄り合い、4月の終わる頃には秩序ができあがっていた。田村は努めて浮かないように心がけていた、教室ではときに小さな暴力や虐めも発生したが、田村は器用に距離をとっていた。

家具メーカーに勤める父親はきまって毎日8時に帰ってきた。工場は田舎にあり、郊外の住宅地から毎朝下り電車で出勤する。家に帰れば発泡酒の缶をあけ、同じテレビ番組の録画を何度も繰り返し再生した。

母は私が小学生に上がったタイミングで学童保育に勤め始めた。子どもたちと同じ空気を吸うのは心身が充実するようで、家でも明るい空気を纏っていた。けれど、母は職場でのことを家でけっして口にしなかった。母が好んだのは「子どもたち」であって、「子ども」ではなかった。

私が高校に上がる時期だっただろうか、父の帰宅が早くなった。どうやら部署異動があったようだ。部活終わりに家に着く頃には、既に食卓の定位置に鎮座していた。深夜にダイニングを伺うと、父がうずくまるように酔い潰れている日が増えた。リモコンがテレビを指して、醤油皿から箸が転げ落ちていた。

そんな折、文理選択の時期になった。

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