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もしくは、自分とは幻想なのかもしれない。

アディクションとは、依存症のことだ。筆者はアディクトの原因を2パターンに大別する。ひとつは明らかな生育上のトラブルがある場合。もうひとつは、周囲に過剰適応しストレスを抱える場合。もし私が依存症になれば、後者のパターンになる。

ストレスは吐き出し口がなければ、体内に蓄積される。ストレスは出口を求め、人間をすぐに快楽を得られる行動へと走らせる。ギャンブルや、ドラッグや、アルコールなど。どれも直接的に快楽へと導く、一人でできる行為へ。

ここで問題となるのは、行為と主体の関係という問題だ。



自分を外部に開くためにはどうすればいいですか?の問いに、千葉雅也さんは、自分を外部だと思えばいいのです、とのこと。

外部から入ってきたストレスが出口を求めて、哺乳類としての人間を、危険な行為へと導く。それは、酸をかければリトマス紙が赤くなるように、自然な反応だといえる。だとすれば、自分を責める必要はないのだろうか。

もしくは、自分とは幻想なのかもしれない。

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