見出し画像

結果が全て、ではないという話(エッセイ)

同僚はよく本田圭佑の話をする。彼は歴代の日本代表の中でケイスケホンダが大好きだった。ホンダ特有のビッグマウスと、それを有言実行するプレーに心酔しているようだった。「ホンダは結果を出すからすごいんですよ」と、ことあるごとに彼は口にする。



近頃、「結果」という言葉に触れる機会が増えた。「俺は結果を出しているから〜」「結果も出していない人間は〜」「最速で結果を出す為の〜」等々。「結果」という言葉は、「売上」や「ゴール」や「順位」といった、目に見える成果のことを指す。対義語は「口先」で、行動せずに理屈ばかり捏ねている人間はダサいらしい。



その是非はともかく、私はこういう「結果至上主義」的な価値観が昔から苦手だった。「結果って何?」「絶対的なものなんて世界にはありませんよ」と、口を尖らせたくなる。むしろ「過程の中途半端さに耐えられないだけでしょ」と、醒めた感じで思っている。

こうした結果至上主義の背景には、資本主義の前面化やSNSの存在がある。それはつまり結果至上主義は加速していくということだ。社会が幼稚になっていく、とも言える。付き合ってられない、と呆れてしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?