見出し画像

問われているのは「命」とは何か?ということ

アメリカ最高裁で、人工中絶にかんする判例が覆され、大きな社会問題となっている。1973年の「ロー対ウェイド」裁判以降、人工中絶は女性の権利として認められてきたアメリカだが、今回の裁判によって全米のおよそ半数の州で中絶が厳しく規制される見通しとなるそうだ。



そもそも「命」とは何か?命とは、生と死を分けるために生まれた概念だ。生きている生物には命があり、死んでいる生物には命が無い。私たちは生物の動く姿に命を感じるけれど、実際に命というものがあるわけではない。命とはあくまで概念だ。

人間は自分自身の命の状態を管理しようとする。好きなものを食べて好きなことをして、自らの生の自由と充実を目指す。その一方で、社会もまた国民の命を管理しようとする。健康を善とする価値観を植え付け、自律と節制を追求させる。死の兆候が見られれば、医学的処置を施す。

人は社会において、生きる為の努力をすることを強制させられている。命は個人が自由に所有しているように見えて、社会によって死を禁止されている。社会のあらゆる価値観は、死を悪とする前提のうえに構築されている。私たちは死が不幸なものであるという価値観を強制されている。

世界には中絶を認める国が多くある一方で、安楽死を認める国はほとんど無い。あっても、病気によって回復の見込みが無い場合など、ごく僅かな場合に限られる。基本的に全ての社会で、自ら死を選ぶことは禁止されている。

人間の「命」を取り巻く環境には、特殊な権力関係が潜んでいる。その特殊さ、構造の特徴を解き明かした先にしか、自由というものは存在しないのではないか。問われているのは「命」とは何か?ということなのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?