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"結婚"に擬える(エッセイ)

Twitterの相互フォローの中に、「たぶん不倫してるのだろうなぁ」というアカウントがいくつかある。それらはみな女性で(男性は私生活を投稿しないだけかもしれない)、なかにはヒモ風の男とのツーショットを載せている人もいる。一般に女性の不倫は男性と本気度が違うと言われるけれど、実際のケースを目の当たりにすると、思わずたじろいでしまう。

ちなみに私は不倫をまったく批判する気が無い。私は不倫に超寛容派で、むしろ、男女問わず少量の遊びは必要だと思っているくらいだ。世間一般から見れば超少数派の異教徒なので、あまり口にしないようにしているが…



今朝シャワーを浴びながら大森靖子の「夕方ミラージュ」を聴いていて、曲名が「You gotta marriage」と掛かっていていることに気づいた。収録されているアルバム『Kintsugi』は、「夕方ミラージュ」で始まり、「KEKKON」という題の曲で終わる。つまり、"結婚"のアルバムということだ。

昨日、いまの社会を何になぞらえて理解すべきか、という話を書いた。『Kintsugi』で大森靖子は、"結婚"を読み替えることで、何かを突き刺そうとしている。大森靖子の提唱する新しい"結婚"像はどのようなものなのだろうか?なぜ今、わざわざ"結婚"なのか?



お盆休みが火曜日に明け、今週は怒涛の一週間だった。10月に新しい企画が入ることが決まり、その緊急対応に追われていた。今日は営業電話をかけながら手元でメールを返して、帰り際には大急ぎで書類を6通も作成し、閉店間際のクロネコヤマトの営業所に駆け込んだ。TwitterもYahoo!も全然見ないまま、いつの間にか終業時間を迎えていた。

世間にはさまざまな指南本やハウツーな溢れているけれど、現実の暮らしとは圧倒的に受動的な性格のものだ。今日も、状況や体調や感情に流されているうちに帰る時刻になってて、いつのまにか最寄駅に立っていた。今度、『Kintsugi』評を書きたい。

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