見出し画像

温暖化で、私の性格は丸くなった。(エッセイ)

遠くの国で自然災害が起きているそうだ。外国語の洪水の映像がタイムラインに流れてきた。不謹慎だが、ドリフのセットのようにコンクリートが流されていく。

ここ数年、異常気象が発生して、個人が環境問題に物申すことが増えた。SNS上の意見は、およそ以下のパターンに分けられる。

①人類は環境を守らなければならない、この
先自然災害は増加していく、間に合うのは今しかないという意見。教科書的・ポリコレ的と言える。
②地球温暖化と災害は無関係だ、何でもかんでも温暖化のせいにするな、という意見。①の逆張り。
③私たちは地球温暖化の負の側面ばかりを見ている、人間にとっては暑さより寒さのほうが脅威だ、いま必要なのは環境保護ではなく暑さへの適応だ、という意見。①の肯定的な読み替えでもある。

SNSに顕れる兆候というのは、ヒトという動物の特徴に近いなぁ、と思う。環境問題に熱心に取り組むということは、日常では埋まらない精神的な何かを抱えている、と私は見ている。つまり、私は環境問題にまったく関心がなかった。



温暖化で、私の性格は丸くなった。明るくなったとも言える。かつて感じていた生きづらさを、最近はそこまで感じなくなった。心が憎しみで満ちるようなことは無くなった。歳のせいだと思っていたら、温暖化のせいだったとは。

南国の人は「陽気」だ。楽しげで、常に祭りの中に居るようだ。恥ずかしげもなく短パンを穿く。このまま温暖化が進めば、私の性格は「明るい」を通り越して「陽気」になるのかもしれない。それはそれで面白いことなのかも。空想の中で、泡盛の瓶を持って私が踊り始めた。



そういえば、札幌で一人暮らしをしていたアパートの、角が沖縄料理屋だった。サークルで一度だけ行ったことがある。店内は私たちだけで、空の酒瓶が並べられていた。模様の彫られた青いグラスで水を飲んだのを、何故かよく覚えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?