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お金なんてなくてもいくらでも勉強できる(エッセイ)

最近、仕事の関係でホームページ制作の勉強が必要になった。WordPressというサービスを使用し、他社のページを真似しながら、練習用のサイトをせっせとこしらえている。初心者レベルの仕事ではあるけれど、なんとか形になりつつある。

ところで、私はこのホームページ制作の方法を、すべてYouTubeとブログで勉強している。WordPressの使い方を紹介する記事やコンテンツがインターネット上には膨大にある。初心者用の始め方動画から、機能追加の方法をまとめた動画まで、ほとんどすべての機能が紹介されているのではないか。制作中に壁にぶつかっても、Google検索によって、ほとんどの困りごとが解決できる。初学者でも困らない環境が整っているのだ

ここで思い出したのは、イヴァン・イリイチの「学校化」の議論だ。イリイチは「学ぶ」という行為を、自ら学ぶ「学習」と学校によって知識を付与する「勉強」に切り分け、「勉強」を批判する。学校制度は「勉強」を正しい学びと権威付け、自分で学ぶ「学習」を邪道として退ける。学校制度は、どのようなことが学ぶのが「正しい」のかを勝手に決める。

昔ホリエモンが「寿司屋の修行なんてムダだ、YouTubeで勉強すればすぐに開業できる」ということを発言して批判を集めていたけれど、言わんとしていることが身に染みてわかる。知識というものは普遍的なもので、学校が免許皆伝を発行して独占できるものではない。もう何年も社会の閉塞感が強まっていると感じてばかりの状況だけれど、知識は自分でいくらでも獲得できるし、お金なんてなくてもいくらでも勉強できる。権威はいつか崩れるし、そしたらあとは覚悟の問題だ。

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