見出し画像

変身(エッセイ)

「今日は書くことがない」という文字をまず打つ。そうすると、なぜ書くことがないのか、ということを書いている間に、自分の状態が少しずつ出てくる。判るというほど明瞭なものではないけれど、気がつけば液晶に説明されている。そのうち言語野というアプリケーションがゆっくりと起動してきて、次の段落へと繋がる。


というのが、書くことの浮かばない日の書き方だった。流れに身を任せて言葉を並べて、最後に第一段落を消せば、文章が出来上がっている。自分に適したラクな書き方。


最近、福尾匠さんの日記を読んでいるのだが、昨日の投稿がとても良かった[1]。私の文章は油断すると論考のような堅いものに寄ってしまう。こういう、無から思考が立ち昇ってくるようなものに憧れがある。


「今日は書くことがない」という言葉で書き出すと、「今日」という時間の単位と、「書くこと」として適切か否かという判断基準に縛られることになる。それは制限でもあって、型でもある。唐突だが、このところ毎日聴いてあるスピッツも、一言でいえば「変身」を歌っているのだろう。


[1]http://tfukuo.com/2022/07/20/%e6%97%a5%e8%a8%98%e3%81%ae%e7%b6%9a%e3%81%8d105/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?