愛国と地元愛(エッセイ)
昨日、待ち合わせで阿佐ヶ谷駅前に行くと、区議選の街宣演説に遭遇した。その右派の新興政党の女性は、「日本を愛することは素晴らしいことなのに、日本では愛国者が白い目で見られる」ということを熱心に演説していた。揃いのジャンバーを着た活動員の顔を見ているうちにだんだん恐怖を感じてきて、私はその場を後にした。
ネットで展開される「愛国」というのは、所詮「日本政府愛」に過ぎないと感じることが多い。それは「日本愛」とは別のものなのだが、その違いを区別できない人間が多い。
たとえば、私の地元は千葉だけれども、地元としての千葉が好きなことと市役所が好きなことはイコールではない。行政の施策を批判していながら、地元を愛している人間はたくさんいる。「政府」は所与の存在でもなければ、絶対的な存在でもない。
「愛国」という語も、結局は都合よく社会を分断させるための言葉にすぎない。わざわざ仮想敵を作らなくても、日本という地元を愛することぐらいできるはずだ。