感想その2(エッセイ)
昨日、牛腸茂雄の写真展の感想を書いたのだけれど、なんだか書き足りないような気がしたので今日も少し書く。
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牛腸茂雄という写真家は幼少期に胸脊カリエスという病気が発症し、背中が曲がるハンディキャップを持っていて、(あえて差別的に言えば、)身体障害者だった。結局は36歳で亡くなるのだけど、幼少期には医者から「20歳まで生きられない」と言われ続けていたそうだ。
写真のほとんどが人物を撮ったものだ。街行く人々を撮った写真では、友人同士で遊んでいたり、街をぶらついていたり、楽しそうな様子が切り取られている。その視線は、共感というよりは羨望に近い。絶対に自分が入り込めない世界を、フィルムに焼き付けているようだ。
その他では、肖像形式の写真も多かった。カメラを見つめるモデルは一般人なのだろう、警戒しているような、軽蔑しているような、笑顔とは違う眼差しが向けられている。カメラと被写体の間には堅い壁があり、カメラマンは厳然と疎外されている。
その点、牛腸が撮る子供の写真には特別な意味が宿る。物心つく前の、差別の無い視線。やがて社会に染まり、自分を奇異な視線で見るであろう目。カメラというものはすごく正直で、彼が社会とどう接していたのか、社会からどう扱われていたのか、その接点が作品には焼き付けられていた。
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このところ気分の落ち込みが酷い。医者からは「いつでも診断書を書くよ」と言われている。あと「診断」さえしてしまえば、れっきとした「病人」になるということらしい。自分的には普通なのだけれど、社会的には「体調が悪い」というらしかった。
今日は月曜日で、会社に行くのがとても嫌だった。体調のことを隠して、無理して会社に赴く。他人に業務を任せたいけれど、何故か自分の元に戻ってくる。逆に誰かのサボった皺寄せを被る。どうして無理してまで出社しているのだろう?自分でもわからなくなってくる。
今日は、内科に胃薬を貰いに行くと伝えて早退してきた。自分のっぽい業務が残っていたけれど、ムリヤリ他人に押し付けて帰ってきた。仕事が捗らず、早く帰りたかった。私がいなくても会社は回るし、ウチの会社が無くても社会は回る。それを、「疎外」と呼ばずに何と言うのだろう。
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