器(エッセイ)
このごろ、結局人間を決めているのは「器」なのだと思うようになってきた。どれほどの大きな仕事を成せるか、どれだけ大きな収入を手に入れるかどうか。それは、ビビらずにいられる覚悟があるかであり、カネを稼ぐ決心がついているかどうかなのだと思う。
ボードリヤールの消費社会論は、モースの『贈与論』→バタイユの「エコノミー論」という系譜を引き継いでいて、贈与・消費という概念を中心に経済を捉えている。そこでは、生産性のない消費こそ栄光であり、人間本来の欲求であるとされる。
これまでの私は、小さな損得に終始していたように思う。卑小でみみっちい人間だった。生きるということは過剰であり、損得や生産性で測れるものではない。こう自分に刷り込めば、器の大きな人間になれるだろうか?